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丹羽健夫 書評コラム『教育を読む』

河合塾教育情報部編集
高校先生向け情報誌「ガイドライン」書評コラム『教育を読む』

 

教育を読む4,5月号

『少年探偵一怪人二十面相』
著者江戸川乱歩著
ポプラ文庫クラシック
定価本体560円+税

  「この盗賊は、宝石だとか、美術品だとか、美しくてめずらしくて、ひじように高価な品物をぬすむばかりで、現金にはあまり興味を持たないようですし、それに、人を傷つけたり殺したりする、ざんこくなふるまいは、一度もしたことがありません」と、はしがきで著者がやさしく紹介している怪人二十面相だが、やることは大胆不敵、傍若無人でかって帝政ロシアの旧ロマノフ王家の王冠を飾り、今は日本の大金持ちの所有となっている六個の大金剛石(ダイヤモンド、時価200万円と原文にあるが21世紀の今なら100億円であろう)を狙う大怪盗二十面相と、それに対決する大探偵明智小五郎とその助手小林少年との、丁々発止の対戦からこの物語ははじまる。

 怪人二十面相は呼び名のとおり、あるときは着こなしのいい紳±に、あるときは乞食に、あるときは警官に、またあるときはあろうことか大探偵明智小五郎その人に変装して大泥棒の仕事をし、金持ちを警察を、そして世間をたぶらかし、あざ笑うのである。しかも二十面相は、かならず犯行予告をするのである。「何月何日何時何分に、何々家のお宝をいただきます」と新聞広告まで出すのである。なかなかパフォーマンスの好きな、自意識過剰な怪盗なのである。だがこの不敵な二十面相もついに明智探偵の智恵と小林少年の機転に追い詰められるが、大団円は読んでのお楽しみ。

 この本にはストーリーの面白さもさることながら、いまひとつの読み得がある。「昭和」である。遠くなった昭和がいたるところに顔を出す。例えば明智探偵が急行列車の一等車から降りてくる場面がある。今の新幹線にはグリーン車、座席指定車、自由席車があるが、昭和の昔は一等車、二等車、三等車であったのである。同じことだが、昔ははっきりしすぎていて、今は差別感の少ない表現をしているのであろう。

 列車を降りてきた明智探偵が向ったのが駅に近接した東京駅の鉄道ホテルである。今の東京ステーションホテルである。このように昭和の郷愁に満ちた作品なのだ。同時に丁寧な筆法で情景描写がきめ細かく、読者は作中にいつの間にか引き込まれるのである。例えば、「麻布の、とあるやしき町に、百メートル四方もあるような大邸宅があります。四メートルぐらいもありそうな、高い高いコンクリート塀が、ズーッと、目もはるかにつづいています。いかめしい鉄のとびらの門をはいると、大きなソテツが、ドッカリと植わっていて、そのしげった葉の向こうに、りっぱな玄関が見えています。・・・」
ご一読をおすすめします。






『古代への情熱―シュリーマン自伝』
シュリーマン・関楠生訳
新潮文庫
定価本体460円(税別)

 『イリオス』『オデッセイア』は大抵の日本人が子どもの頃読んだはなしである。いずれも、吟遊詩人ホメーロスによって語られたといわれる物語である。
『イリオス』はアカイア(ギリシヤ)とトロイとの戦争の話で、例のトロイの木馬がでてくるやつである。お馴染のアキレスも登場する。アキレスの母親は赤ん坊のアキレスを不死身にしようと、冥府の川に漬けたのだが、そのとき踵をつかんで漬けてしまったので、踵が不死身でなく急所になってしまった、つまり「アキレスの腱」になってしまったという話である。

 『オデッセイア』はイタケーの王であるオデッセウスが、トロイア戦争の勝利の後に凱旋する途中で、出会ったさまざまな出来事の話、10年間の漂泊の物語である。乗ってきた船の船員たちが魔女のため豚にされてしまう、またセイレーンという怪物たちの歌を聴くと、記億を失い食べられてしまうなど、恐くて、おおらかで、面白いはなしである。
さて本書評の『古代への情熱』を書いたシュリーマンも、子どもの頃これらの物語を父親から聞かされた。面白くて何度も話をせがんだ。シュリーマンが常人と違うところは、これらの昔話が次第に本当にあった話と思い込みはじめたことだ。

 しかし現実の世界では彼は普通の子どもとして成長する。実業学校を卒業して雑貨屋の見習い、帆船のボーイ、事務所の小間使い、やがて独立して藍商人として莫大な富を得る。だが彼は単なる金持ち志向ではなかった。お金持ちになって、いつかトロイアの地で『イリオス』『オデッセイア』が現実にこの世に実在したはなしであることを、証明しようとしたのだ。その野望が満たされるときがきた。

 1871年10月トルコ政府の許可を得て発掘が始まった。そして1873年5月、ついに城壁と門を発見する。これがトロイアであったのだ。少年の直感と綿密な予測が的中したのだ。さらに掘り進むと「1ポンドもある黄金の杯、大きな銀の水差し、黄金の王冠、腕輪、数千枚の金の小板を苦労してつなぎ合わせた首飾り、それは、この地方の強力な支配者でなければ所有しえないきらびやかな宝だった」が出土する。

 本書の読者はこのあたりで、自分が大黄金を掘り当てたような幸福感を味わうのである。

 さて本書の執筆者シュリーマンは、銀の匙をくわえて生れてきた幸運児にみえるが、実は大変な勉強家であったことが、この自伝でよくわかる。例えば言語はラテン語、スウェーデン語、ポーランド語、ギリシャ語、古典ギリシャ語、ロシブ語、アラビア語、英語など、ほとんど独学でものにしている。やっぱし天才は違うと思いがちであるが、彼はこうも書いている。

 「私はどんな言語でもその習得を著しく容易にする方法を編み出したのである。その方法は簡単なもので、まず次のようなことをするのだ。大きな声でたくさん音読すること、ちょっとした翻訳をすること、毎日一回は授業を受けること、興味のある対象について常に作文を書くこと、そしてそれを先生の指導で訂正すること、前の日に直した文章を暗記して、次の授業で暗誦(あんしょう)すること、である」

 なんだ、ちっとも容易でも簡単でもないじゃないか。




『大空のサムライ』上・下
坂井三郎著
講談社+α文庫
定価880円+税

 ご存知「ゼロ戦」―零式(れいしき)艦上戦闘機は第二次世界大戦中に活躍した日本海軍の名戦闘機である。制式に採用された昭和15年時点で、戦闘機とて必要な性能、空戦能力(身軽さ)、速度、航続距離、火力、そして搭乗員の技量、いずれにおいても国のそれの追随を許さなかった。

 本書はゼロ戦を駆って、中国大陸、フィリピン、果ては南太平洋はニューブリテン島ラバウルから、ニューギニア島、ガダルカナル島などに長駆戦った一兵士坂井三郎の記録である。戦闘機乗りとして撃墜した敵機は64機を数える。

 太平洋戦争の最初の一年は勝ち戦さであった。その間に坂井三郎たちが戦った相手は、米軍の戦闘機の場合グラマンF6Fヘルキャットなど10機種におよぶ。しかし我が日本海軍は大戦の始まりから敗戦間際まで、ほとんどゼロ戦一本槍である。悲しいではないか。工業力の圧倒的な差なのである。

 一方米軍は、味方領内に墜落したゼロ戦を徹底的に分析し、弱点を掴み次期戦闘機に対策を盛り込んだのである。こうしてゼロ戦の優位は次第に削がれていく。また日本海軍の伝統として、熟練搭乗員の名人芸を重んじ、かつ「攻撃は最大の防御なり」と重火力(20ミリ機関砲2丁、7.7ミリ機関銃2丁)を頼みにして防弾装備を怠ったのである。このためベテランパイロットも次々に失われでいく。ちなみに坂井が初歩練習機で訓練を受けた4入のグループのうち、坂井を除く3人と教員までが終戦までに戦死している。

 坂井三郎自身も、太平洋戦争の天目山となったガダルカナルの空戦で、頭部と片目に被弾し八時間半の飛行の末、意識朦朧としてラバウル基地に帰着する。その後坂井は、終戦直前の硫黄島の戦いで再び空戦に挑むが隻眼ではもはや華々しい戦はできない。

 古来、戦は「やあやあ吾こそは何の太郎兵衛に候。見参、見参」などと掛け声をかけて闘った。そののち武器が進化しても何人の敵を血祭りに挙げたなどと競い合った。これから後もし戦があったとしても、多分電子戦であり個人の見えないスクリーン上での戦になるであろう。その意味で坂井の闘った第二次世界大戦は、敵味方の個人が見える最後の戦いとなるであろう。

 ゼロ戦は大戦中に約一万機が製造され、その殆どが失われた。ゼロ戦一機の値段は一説によると現代の価格に換算すると、3億円だそうである。一万機ならば3兆円である。戦争とは金の掛かるものである。

 本書には人間くさいエピソードが髄所に出てきて笑わせる。例えば中国大陸での日本軍と中国軍の地上戦を、坂井が上空で見ていると、戦の傍らで農民がそしらぬ顔で大地を耕している。また飛行兵の試験のひとつに、骨相家が適正を骨相学上から調べたなど。

 今年はあたかも終戦70年目である。きな臭い議論もでてきている。本書ば戦争を考える取っ掛かりを与えてくれると思う。

 尚、本書は米国はもちろん、カナダ、フィリピン、フィンランドなど多くの国で出版され、読まれている。





『瀬戸内少年野球団』
阿久悠著
岩波現代文庫
定価1,160円+税

 『津軽海峡・冬景色』や『青春時代』『思秋期』などめヒット曲をはじめ、通算5千曲の作詞歴をもつ阿久悠の、少年時代の自伝的回想小説である。終戦から阿久が野球に狂うまでの約三年の記録であるが、その三年間はまさにこの国はじまって以来もっとも波乱に満ちた時代であった、といっても過言ではないであろう。その意味でも興味深く、かつ貴重な時代風俗記録である。

 昭和20年、小学校3年生のこの小説の主人公である、足柄竜太が住む淡路島にも敗戦と食糧難の風が吹き付ける。飢餓のなかでの芋造り、炭焼きのための木材運び、そして学校の教科書の中の軍国主義的記述部分のスミヌリ抹消。
 
 やがて占領軍―進駐軍の米兵たちがジープに乗ってやってくる。恐れていた米兵たちは、明るくやさしく「赤や青や黄色で彩られた包み紙のキャンディ」をくれる。チョコレートにチューインガム。「舌から喉にひろがる美味という感覚」が子供たちの米兵に対する敵意を一挙に霧散させる。

 学校に民主主義が入ってくる。「男女七歳にして席を同じくせず」のそれまでの道徳に反して、男女の児童が隣り合わせに坐らされる。これが民主主義だ。

 日本の兵隊たちも国外の戦線や、国内の兵営から次々に帰ってくる。なかには負傷してハンディキャップを負った人もいる。竜太たちの担任の中井駒子先生の夫、中井正夫も足にハンディを負って松葉杖をつく復員兵である。中井正夫はかつて中等野球(いまの高校野球)の全国大会に行っている。

 その中井駒子先生と正夫の指導を受けながら、竜太たちは野球にのめり込んでいく。瀬戸内少年野球団「江坂タイガース」の誕生だ。ピッチャーは大男で少し滑稽なところもある竜太の真逆の友、バラケツこと正木三郎、三塁が竜太、女流剣士波多野武女(むめ)が二塁を守る。竜太たちの野球熱は、ついに町の代表として隣町の代表と対抗戦をするまでになっている。

 そう、この時代、日本中で野球は疫病のように蔓延したのだ。なにしろボールーつあれば広場や校庭で十数人の子どもが遊べるのだ。この疫病はプロ野球がはじまり、巨人軍の赤バットの川上哲治、阪神軍の物干し竿バットの藤村三塁手、セネタースの青バットの大下弘などの英雄が出現し、まだテレビのない時代のこととて、NHKラジオの志村アナウンサーの名実況放送と共に全国に燃え盛っていく。

 そしてこの時代に生まれた、竜太たち江坂タイガースの行く末は…。
 本文を読み、お楽しみあれ。





『父吉田茂』
麻生和子著
新潮文庫
定価550円十税


 吉田茂といえば、日本が第二次世界大戦に敗れた翌年の1946(昭和21)年5月から、8年間にわたって日本の総理を務めた人物である。いわばこの国のどん底の時期を支え、経済、民生を復興させ今われわれが享受している、平和にして豊かな国の土台を築きあげた人物である。吉田は明治39年東京帝国大法科卒業後、外交官試験に合格し翌年から終戦まで中国、イタリア、英国などの領事、公使、大使を歴任した。その吉田の三女が、ともに歩いた父の横顔を綴った一冊である。

 父吉田のイギリス大使時代、18歳の著者はジョージ六世の招待でバッキンガム宮殿のパーティに招かれ、盛装をしてフロアで踊っているときに、国王陛下ジョージ六世の刀の鞘がドレスの裾に引っ掛かり、レースの生地が裂けてしまった、などという際どくも華やかなエピソードが綴られる。

 著者の母、つまり吉田の妻雪子は大久保利通の孫にあたる。利通の次男の牧野伸顕(のぶあき)は外交官や大臣を務めた重臣であり、著者の祖父に当たるのだが、たまたま熱海に祖父を訪ねていたときに2.26事件が起こる。陸軍将校の反乱である。重臣の祖父も襲われ、銃弾を浴びながらみんなで裏山へ逃げる。逃げ込んだ山奥の小さな家で、祖父と孫は角砂糖に目をつけてダイスをして遊ぶ。スリリングな描写だがえらい人たちは大変だなとも思う。

 吉田の足跡で何と言っても大きなものは、1951(昭和26)年の太平洋戦争を締めくくるサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約の締結であろう。著者も同行する。そして調印に使った万年筆をねだって手に入れる。この条約はソ連・中国も巻き込んだ全面講和か、対米中心の単独講和かで国内世論が激しく対立していたので、帰国後の抵抗を覚悟していたのだが、羽田空港で出迎えの日の丸の小旗があふれていることに、父とともに感激する。

 吉田総理といえば「バカヤロー解散」が、有名である。社会党右派の西村栄一氏との質疑応答のなかで、総理がバカヤローと大声で罵ったというのが解散の原因である。しかし本書によれば、ほとんど口のなかでつぶやいたのが、すぐ傍にマイクがあって入ってしまった、というのが真相のようである。壁に耳あり・・。

 選挙演説を、ある小学校の会場で行ったとき「これからキミたちもよく勉強して・・」などと場違いの話をはじめたというエピソードも笑わせる。同じく選挙演説を、寒い冬の日に外套(オーバーコート)を着て街頭でやっていたところ、聴衆から外套をとれといわれ「街頭演説だから外套を着ているのだ」と答えたなどの駄じゃれも出てくる

 若い頃吉田は麻布の自宅から霞が関の外務省まで、馬に乗って通勤したそうである。なんとも優雅ではないか。

 著者の母、吉田の妻は乳癌で亡くなる間際に、急に着物を買いだす。なぜかと著者が聞くと「日本では形見分けをするけれど、そのときにあんまり分けるものがなかったら、お前が恥をかくだろうから」と言ったという。

 父吉田茂を語りながら、古きよき日本がいっぱい出て来る好著である。