河合ブックレットのご紹介
河合塾では塾生を対象に、毎年全国各地区で多くの講演会を実施していますが、その講演会を「河合ブックレット」で活字にしています。
その中から今回、河合ブックレット13『ミミズと河童のよみがえり-柳川堀割から水を考える』を取り上げました。
これは1987年6月に河合塾福岡校で行われた講演を活字化したものです。
講演者は広松伝さん(1937-2002)ですが、今年2017年2月中旬の東京新聞に「『堀割救った男』」に脚光」「元市職員の業績 常設展示」.pdfという見出しで記事が掲載されました。
今では年間38万人の川下り客が訪れる福岡県柳川の堀割を、埋め立ての危機から救った広松伝さんの業績を次世代に伝える資料や写真を市の施設の一角に常設展示するというものです。
展示場所「柳川あめんぼセンター」内の「水の資料館」では広松伝さんの手書き文書のコピーや「柳川堀割物語」のパンフレット・写真も閲覧できるようです。
広松さんのこの取り組みは長編ドキュメンタリー映画(「柳川堀割物語」監督高畑勲 制作宮崎駿)となり、数年後それをモチーフに宮崎駿監督作品の「風の谷のナウシカ」になったことでも知られています。
この河合ブックレット13『ミミズと河童のよみがえり-柳川堀割から水を考える』は100ページあまりの冊子ですが、1987年の発行以来版を重ねて第6刷となっており、解説は坂本紘二下関市立大学教授(後に同大学学長・現山口大学監事)が書かれています。
その解説からは講演会の様子が映像のように浮かび上がってきます。
現役の市役所職員である広松さんを今回の講演会の講師として出向いてもらったのには次に示すようなネライが込められていた。
日常何気なく見過ごしているところに実は重要な課題が潜んでいることを知って、自分の身の周りでも具体的に実感して欲しい。決してあきらめてはならぬことを身体で示した一人の男の果敢な行動と思想を通して、どうしようもなく自然と関わらざるを得ない自分達のライフスタイルを問い直す手がかりを得て欲しい。
果たして反応はどうであったろう。
広松さんは、常に相手を考えて具体的な話を一言一言押さえるように語っていく。
体育室の横壁をスクリーンに見たてたため映像効果は万全とはいかなかったが、荒廃から再生への変転の記録を映し出すスライド映写を混じえての、彼の説得的な話は塾生をはじめとする聴衆に期待以上の感銘を与えたようだった。講演後の質疑応答も、建設行政の方針転換、自然体験の世代間の違い、原発事故、水路の再生浄化と維持管理の課題、クリークの多種多様な機能と水循環回復の意味、コンクリート三面張りを指向しがちなことの問題点、ひいては開発途上国における技術移転の問題にまで及んだ。
それは講演中示された広松さんの水思想や取り組みの粘り強さを一層極立たせる形で進み、様々な議論の展開が可能なような気がして、時間の制約が悔やまれる程であった。
広松さんを理解することは、結局、柳川の風土(土地、水と人の関わり合い)を理解することであった。風土が彼の水思想を育んできた。そして、彼の話や呼びかけを聞いて、またその風土を僕達は理解することができるのである。
著者略歴
広松伝(ひろまつ つたえ)
1937年柳川市に生まれる。
水と人間のかかわりあいはどうあるべきか,科学技術一辺倒の現代の日本人に,水思想の大切さを訴え続ける。
柳川市の荒廃した堀割の再生に奔走,住民を巻きこんで取り組む。その活動記録は,光岡明著「柳川の水よ,よみがえれ」(講談社)及び長編記録映画「柳川堀割物語」(二馬力)で広く紹介された。自治体学会,エントロピー学会員,筑後川水問題研究会副会長,筑後川下流域土地改良研究会員
もくじ
Ⅰ ミミズと河童のよみがえり
生あるものを形づくり地表を循環する水
失われた水の思想と文化
水郷柳川に訪れた危機
川は自分の命だ-少年時代の思い出
堀干しから川祭りまで生活を支えた堀割
柳川の堀割はなぜ荒廃していったか
堀割の埋め立て計画に抗して
柳川に欠かせない堀割の機能-市長に直訴
清き水すむ郷ヘ-再生に不可欠な住民の協力
住民主体の浚渫作業-流れ出した川
川とよりを戻し川とつき合う暮し
現代技術の象徴-コソクリート三面張り
ミミズに感謝し、胸の内に河童をとりもどす
Ⅱ 柳川でできたことを未来へつなげて
一人ひとりの力で美しい川へ
水は土に還って初めて浄化される
地盤沈下をおさえる堀割
保水能力の落ちている山と川
解説 「まるで河童ですね」-<水思想>の再構築にむけて
坂本紘二