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ドストエフスキイ研究会便り(18)

 

今回の「研究会便り (18)」の内容は以下の通りです。
 

 

 

 

 

《講演・研究発表の原稿化》

★「ドストエフスキイ研究会便り」では第15回目から、
かつての講演や発表を原稿化し,掲載していますが、

前回につづき今回は 2014年7月、
東京大学宗教学科の大学院生の皆さんを中心とする「日本宗教思想史研究会」に招かれ、
「様々な問いとの出会い」という題で行った小講演を掲載します。
全部で八つの問いの内、今回は残りの三つを扱います。

今回は「大学闘争(紛争)」を機に、
故郷の三島で始まった小出先生の許での勉強(6)について、
またそこから試みた社会との取り組み(7)について振り返りたいと思います。

ひたすら「絶対のリアリティ」を求める先生の求道の生は、
私にとっての真の「大学生活」を与えてくれるものであり、
ここでの勉強・修行が私の人生に持った意味は測り知れません。
六年前の小講演に加筆をしつつ、この修行生活を振り返りたいと思います


最後は(8)、ゴルゴタ丘の十字架上で、
死の直前にイエスが発したとされる絶叫を取り上げます。
「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ
(わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給ひし?)」(マルコ十五34)――

「神の国」の到来を説き、この上なく柔和な愛の人であるイエスが、
何故このような絶叫・問いを発して死ななければならなかったのか?
これは私が人生で出会った最大の謎の一つです。

六年前には十分にお話をする時間がなかったこの問いについて、
今回は『カラマーゾフの兄弟』のイワンとアリョーシャに焦点を絞ることで、
この謎への答を探りたいと思います。

    
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