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生命と死のあいだ ── 臨床哲学の諸相

新刊

生命と死のあいだ――臨床哲学の諸相

監修 木村敏・野家啓一
発行 河合文化教育研究所
発売 (株)河合出版
2017年1月刊行
A5版 4000円+税


[監修]
木村敏
野家啓一

[執筆]
野間俊一
内海健
木村敏
米本昌平
和田信
金森修
深尾憲二朗
大橋良介

[座談]
木村敏
野家啓一
谷徹
内海健





◆ 目次 ◆

 
まえがき    木村敏


第14回・第15回河合臨床哲学シンポジウム・プログラム 趣意書


座談会・生と死のあいだで   木村敏・野家啓一・谷徹・内海健

ビオス的な死をめぐって――金森修さんと津田均さん
沈黙を語る、沈黙を聞く
統合失調症の軽症化のなかで
「あいだ論」と「生命論」のあいだのDifferenz
「イントラ・フェストゥム」が拓いたもの
恥とゾーエー
神の前に成立する自己関係
神の命令と罪
世界を持つ能力と死ぬ能力
生とは出生と死の両方のことである
「人称」が立ち上がる場



Ⅰ 生命――ビオスとゾーエー

見られることと生きること――身体の精神病理をめぐって  野間俊一
1.精神医療における「言葉」の喪失
2.食の病いの精神病理
3.眼差される体験
4.〈人〉としての自己/〈私〉としての自己
5.〈エス〉と間生命性
6.身体の精神病理へ向けて

マニーの精神病理――生命論的考察  内海 健
はじめに
イントラ・フェストゥムについて
生命論的差異と死
「自己」という躓きの石
生命の中の反生命的なもの
象徴的なものの突破――バタイユにおける熱い死
マニー――意識清明なるイントラ・フェストゥム
マニーの症候学
メランコリーと労働
おわりに――ヒポマニーの時代

生と死のゲシュタルトクライス  木村 敏
1.ゾーエーとビオス
2.主体と主体性
3.「危機」と「転機」
4.西田幾多郎の「死即生」
5.補論――「剥き出しの生」という名のゾーエー

バイオエピステモロジーとは何か
 ――"ニュートン主義の罠"と分子生物学的生命観の脱構築  米本昌平
序 バイオエピステモロジーとは何か?
1.生命科学の自然哲学――薄い機械論
2.生物学的相補性と法医学的証拠固め
3.「ニュートン主義の罠」、その一――「生命力」の創出
4.「ニュートン主義の罠」、その二――分子構造の複雑性、その組み合わせの複雑性の過小評価。理想気体モデルの上の熱力学理論
5.「ニュートン主義の罠」、その三――便宜的絶対0度世界の引用ネットワーク。熱嫌悪症と水嫌悪症の合併症
6.「C象限の自然」仮説を、もう生気論とは呼ばせない



Ⅱ 生きられる死

がんとともに生きる  和田 信

〈遠隔的知識〉としての死  金森 修
第1節 話の意図
第2節「三人称の死」の分節
第3節 医師の死
第4節「世界3」としての死
第5節「世界3」と「一人称の死」

内なる死のまなざし 
   ――てんかん、デジャヴュ、臨死体験  深尾憲二朗
1.てんかんとデジャヴュ
2.デジャヴュの症例
3.デジャヴュと輪廻思想
4.臨死体験――彼岸の平穏
5.〈虚存〉というあり方

脱け去った死でもなく、襲い来る死でもなく  大橋良介
1・1 脱け去った死
1・2 死を論じる現象学と、論じない現象学
2・1 襲ってくる死
2・2 襲い来る死と、死に襲われる者との関係
3・1 死の遠さと近さ、ないし遠近(とおちか)さ
3・2 死の高さと深さ、ないし高深(たかふか)さ
4 「そのまま」


あとがき   野家啓一







◆ 著書の内容 ◆


「生命それ自体は決して死なない、死ぬのはただ個々の生き物だけである」(ヴァイツゼカー)。
「死ということは絶対の無に入ることであり、生まれるということは絶対の無から出てくることである」(西田幾多郎)。
私たちの個別的な生が成り立つのは、その終焉に不可避の死が臨んでいるからであるが、この死すべき個体ビオスの根底には、更に生と死の両方をともどもを豊かに育む大きな〈生命〉ゾーエーが息づいている。個体の誕生と死を支え根拠づけるものとしての〈無〉であり〈生命〉であるゾーエーを視野に置き、ビオスとゾーエーの生命論的差異を軸に、生命とは何かをさまざまな角度から根底的に考察した刺激的な論考集。