メッセージ
◇日本語は面白い
1. 日本文「私はお腹がすいた」
表記の日本文を英語で書くとI am hungry . ですね。さてクイズ。英語には単語と単語の間に空きがあるのに、日本語の場合なぜ空きがないのか。ためしに前記の英語の空きを除去してみましょう。
Iamhungry.
おやおや、これでは何のことか分からないですよね。ひとつの単語のようにも見えます。この例で分かるように英語に限らずフランス語、ロシア語、アラビア語など、ほとんどの言葉ではこの単語の間の空きが必須です。
ではなぜ日本文には空きがなくても読むのに支障がないのでしょうか。その秘密は漢字です。普通の現代日本文では漢字という表意文字が主役として、あるいは区切りとして登場するから、空きは必要ないのです。それに漢字は文章のイメージを掴むための強い味方です。
世界中どこを探しても漢字、平仮名、片仮名の三通りもの文字を駆使して表記する言語はほかにありません。もっともそれだけに日本の児童生徒は苦労が多いのですが苦労が多い分、目には見えないどこかでその果実を身につけているのでしょうね。
2.日本語を学ぶ外国人の苦労
ふだん私たちは何気なく使っている日本語ですが、外国人からみるとかなりやっかいな言葉らしいです。たとえば数詞です。英語では数詞はaまたはone, two, three ・・・のワンパターンで何にでも通用しますが、日本語には「いち、にい、さん」と「ひとつ、ふたつ、みっつ」の二通りがあり、しかも助数詞がものによって違います。船なら1隻、花なら1輪、牛なら1頭、鶏なら1羽、蟻なら1匹。しかもこの「匹」は1っぴき、2ひき、3びきと数詞によって発音が違うというやっかいなものです。
外国人に日本語を教えるときの文法で、動詞のあとに「て」がきたときに対応する「てフォーム」という奇妙奇天烈なものがあります。
たとえば「書く」という動詞のあとに「て」が接続した場合大変なことになります。
書いておく、書いてある、書いてみる、書いてしまう、書いてあげる、書いてくれる、書いてもらう。単純に「書く」という言葉が「て」の形になるとさまざまに表情を変えます。こんなことは学校の文法では習ったことがありませんよね。我々は日本語を経験によって身につけていますから、わざわざ文法という論理化された体系で覚える必要はありません。しかし外国人が母国語とは違う日本語を身につけるとき、文法という論理的手引きが必要となるのです。日本語って我々自身はふだん気がつかないけれど、奥が深くて面白いですね。
3.文法を軽視するべからず
逆に日本語とは違う表現構造をもった英語などの外国語を学ぶとき、矢張り文法の力を借りなければ、その言葉およびその言葉の持つ文化の深奥を理解し活用することは困難なのではないのでしょうか。最近はともすると英語学習で文法が軽く見られがちですが、旅行英語ならまだしも、国立大学など本格的入試問題を出すところでは油断大敵ですぞ。
2009春『文教研れぽーと』
愛知の寺子屋
丹羽健夫著
寺子屋に学ぶ教育の本義
昭和初期の聞き取り調査から浮かびあがる
日本独自の民間教育機関「寺子屋」の真の姿とは。
◇予備校は寺子屋だ
学校というものはいつ頃からあるものだろうか。日本史で習ったと思うが、今の近代的学校制度の土台となる「学制」が発布されたのは明治5年(1872)、近々138年前のことである。しかもそれから13年を経た明治18年(1885)の小学校の就学率は49.6%であるから、軌道に乗るまでに何十年も掛かっているのである。
それならばそれ以前、つまり江戸時代には学校は無かったのかといえばそんなことはない。武士階級の藩校、庶民階級(農民、商工業者)の寺子屋が存在していたのである。藩校は官製だが、寺子屋は民間の自然発生的ないわばボランティアのようなものである。
寺子屋では誰が教えたかというと僧侶、神官、武士、医者、平民(名主など)、なかには修験者なども登場する。何を教えたかというと、読み書きと同時に地理や商売や農業の技法も教えていた。一部の寺子屋では算術も。算術では開平(平方根)開立(立方根)まで教えるところもあった。
なんで農民が平方根や立方根を学ばねばならぬのかというと、農民にとっては土地は命である。平方根はその測量のため、そして農業にとって水は命である。立方根はその量計のため。だろうと思う。
寺子屋の普及は貨幣経済や商品経済が浸透し始め、庶民にとっても識字をはじめ様々な知識の必要がどんどん増してきたためであろう。そしてその数は日本全国では数万件に達したという(ある学者の推計では6万は下るまいという)。いまの日本の小学校数が22,258校(2009年)であるから、規模や仕組みが違うとはいえ大した普及度ではないか。おそらく近代以前の庶民教育の場という意味では諸外国にも例はないであろう。寺子屋では読み書き算盤以外にも、俳句や和歌など文化の楽しみ方を教えるところもあった。今の学校がその時代を生きていくに必要な技術・知識を教えるとともに、芸術など文化を楽しむきっかけを伝授しているのと同じではないか。学校の原点とはそうしたものなのであろう。
寺子屋でさらに注目すべきことは師匠(教師)と筆子(生徒)のあいだに人間的な深い絆があったことである。生徒(筆子)たちが師匠の徳を偲んで建てた筆子塚というものが、全国各地に数え切れないほど存在するというのも、師弟間の情誼の厚さを想像させる。
学校というものは本来そういうものだと思う。単なる知識や技術の伝授の場ではなく、先生や友達との関係から、人間を理解し、人間に感動し、あるいは嫌悪し、人生を知っていく場所だと思う。その関係は目には見えないものであるが、それは学校の命だと思う。
ただし学校にしても何にしても組織というものは、特に官製の組織というものは一旦出来上がるとマンネリ化、惰性化がはじまる。昨今の世間で取沙汰される学校の問題も組織の制度疲労の表れかもしれない。
君たちがこれから学ぶ予備校は官製ではなく民間組織である。適度な競争原理も働けば、講師・職員の人間臭さにも充分触れることのできる場のはずである。大学入試も大切だが、ここでは寺子屋的人間臭さもおおいに味わってほしい。
2010春『文教研れぽーと』
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◇大学入試に対してどのように向き合えばよいのか。
◎大学入試はいまの日本に残る、数少ないイニシエーションである
イニシエーションという言葉をご存知ですか。一般に「通過儀礼」と訳されています。例えば七五三。これは幼児から労働力を期待される子供へと、移行するための儀式であったのです。それから元服。これは男子が成人になったことを祝う儀式で、 11歳から17歳ぐらいの間に行われ、幼名を廃して改名することもありました。女子では髪上げなどがこれにあたります。
アフリカやオセアニアの諸社会では、一連のイニシエーション儀式のなかでも特に成人式や成女式が重視され、さまざまな肉体的試練を経るほか、新たな社会的地位の獲得に備えて、秘密の知識が授けられることが多く、そのために長い隔離の期間がもうけられていました。
このようにイニシエーションは、例えば農業社会のような固定的生産様式の、すなわち子孫に引き継がせるべき多くの変わらない技術やしきたり等を持っている社会に強く存在します。一方成熟した社会は、というより近代は、めまぐるしく変化する様々な産業で成り立っており、オルタナティヴ(なにものにもなりうる)な個人が要求されるため、特定の生産様式に直結した秘儀としての「通過儀礼」の影はしだいに薄くなっていきました。
しかしいかにオルタナティヴな個が要求されているにしても、高度な産業社会で必携武装として求められるものは、生きる上であるいは社会活動の上で基礎・基本となる知識や、論理力や、知的好奇心や、問題解決のための粘り強さなどです。そしてなによりも必要なことはこの世の本質に思いをいたし、自分および自分の居場所を追い求めているという行為の姿、かまえです。大学をめざして受験勉強中のこの時期こそ、そうしたことどもの仕込みの時、蓄積の時間なのです。そして大学入試はいまの日本に残る、数少ない本当の意味でのイニシエーションのひとつなのです。
この一年、沈潜した蒼い時間の中で君の知性を育てよう
大学入学準備期は、やがて来る通過儀礼の時に向けて、意識の上で自分を閉ざし、長期間隔離され、我々の先達たちが切り開いた知の世界を渉猟し、知的な驚きや問題解決の醍醐味に浸る期間なのです。そしてこの世と自分のことについて考える期間なのです。
わたしはいま大学の教壇に立ち、多くの大学生たちと友達になりました。大学生たちは一般入試で入ってきた子、AO推薦で入ってきた子、一般推薦で入ってきた子、付属高校推薦で入ってきた子などさまざまです。しかしいずれの入学方式で入ってきたにせよ、大学生になるために必要な基礎・基本を、時間をかけて懸命に身につけ、同時にものごとの本質について思いをいたしてきた子、すなわちイニシエーションに必要な本気の典礼準備を積み重ねてきた子と、そうではない子との間に、大人としての力の大きな格差を感じてしまいます。
さあ、蝶類がこの世にはばたいて行く前の、さなぎの中での、静かに沈潜した蒼い時間をここで過ごし、豊富な君の未来の君自身の魂や骨格をここで培ってください。
文教研は応援します。 2003夏『文教研れぽーと』より