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ドストエフスキイ研究会便り(20)

 

今回の「研究会便り (20)」の内容は以下の通りです。
 

 

 

 

 




《講演・研究発表の原稿化》

★「ドストエフスキイ研究会便り」では第15回目から、
かつての講演や発表を原稿化し,掲載しています。

前回と今回の二回にわたり、
2017年3月31日、東京湯島の親鸞仏教センターで開かれた
「現代と親鸞の研究会」に於いて、
私が「ドストエフスキイ、イエス像探求の足跡」というタイトルの下に提示させて頂いた
「問題提起」と、それを受けて引き続きセンターの研究員の皆さんとの間で交わされた
「質疑応答」の記録を掲載しています。

キリスト教と浄土教、ドストエフスキイと親鸞という
東西の代表的な救済宗教とその代表的な思想家に於いて、
どのようなことが基本的な問題とされ、また如何なる課題が存在するのか ――

親鸞仏教センターの皆さんは、日々親鸞と浄土教の世界に生きておられ、
かつ研究所での研究に勤(いそ)しんでおいでであるばかりか、
ドストエフスキイとキリスト教への強い関心もお持ちの方たちばかりで、
私の「問題提起」に真剣に耳を傾けて下さり、
「質疑応答」も最初から熱気の籠ったものとなりました。
しかもそこに展開したのは、決して難解な概念を巡る抽象的な宗教論議ではありませんでした。

キリスト教と浄土教の世界、ドストエフスキイと親鸞の世界という、
本来時間と空間を大きく隔てて展開してきた二つの世界が、
この先真の「相互理解」を果たすためには、まだまだ膨大な時間が必要とされることでしょう。

巻末には《付記》として、この掲載が将来に向けた一つの踏み石となることを願って、
四年後、「問題提起」と「質疑応答」を読み返して私が改めて感じたこと、
また両者の今後の「相互理解」に向けて、どのような問題・課題が存在すると考えるかを記し、
最後には、この日を契機として、新たに若い研究員の皆さんとの間で始まった
「研究会」についても報告をしておきたいと思います

    
詳しくはこちらをご覧ください。

「研究会」→ドストエフスキイ研究会