HOME  >  主任研究員・特別研究員  >  長野 敬

長野 敬

  
長野 敬(ながの けい)
(故人)


。。。。。。。。。。。。。。。。

プロフィール
著書 
シンポジウム・講演会
わたしが選んだこの一冊
わたしの近況
随感
。。。。。。。。。。。。。。。。








◇◆ プロフィール ◆◇


長野敬(1929-2017)

1929年東京生まれ。
東京大学理学部植物学科卒。
専攻・生物学。医学博士。
自治医科大学名誉教授。
細胞膜のイオン輸送酵素の遺伝子構造を決定し世界の遺伝子研究に先鞭をつける。
細胞から生態系まで生物学をシステム的観点から統一的に見る独自の方法論をとる。
この方法論の延長上で「生命研究を教育の中で多面的に正しく理解させる」ことをテーマに研究してきた。

生命、進化、遺伝関連の海外出版物の多くの翻訳者と知られていた。
最初の翻訳書『生命 生体論の考察』ベルタランフィ飯島衛共訳『歴史における科学』J・D・バナール 鎮目恭夫共訳(いずれもみすず書房)は1954年の出版で、60年間におよそ100冊の翻訳書がある。
2017年10月25日逝去。享年89歳。




◇◆ 著書 ◆◇

『生物学の旗手たち』
『生命現象と調節』
『遺伝子を解く』
『生物学の最前線』
『生物の内景から』
『変容する生物学』
『進化論のらせん階段』
『生体の調節』
『生命の起原論争』
『生命現象と調節』
『ウィルスのしくみと不思議』
『細胞のしくみ』
他に共著、翻訳書など多数。

長野敬 著書・共著・翻訳書一覧.xls


 

◆◆ 『わたしが選んだこの一冊』(2010~2015) ◆◆

・2010年 『タイム・マシン』H.G.ウエルズ 著  宇野利泰 訳
・2011年 『虫を愛し、虫に愛された人』長谷川眞理子 偏
・2012年 『イカの心を探る』――知の世界に生きる海の霊長類 池田譲 著
・2013年 『カオスの紡ぐ夢の中で』金子邦彦 著
・2014年 『科学にすがるな!』宇宙と死をめぐる特別授業 佐藤文隆・艸場よしみ 著
・2015年 『ヒトはなぜ協力するのか』マイケル・トマセロ 著  橋彌和秀 訳


 

 

◇◆ シンポジウム・講演会 ◆◇

生物学シンポジウム

特集-生物学シンポジウム(文教研の栞2015夏号)

 



◇◆ わたしの近況 ◆◇

(2015年 夏)   わたしの近況

(2013年 夏)  二つの基準

(2012年 夏)
  地球環境と人類の進化

 

◇◇ 近 況 ◇◇

(2015年 夏)
  わたしの近況

今年は「ひつじ年」ということから、かつて「ドリー・ヒツジ」がNature誌のカバー・ストーリーになったのを探しだして、年賀状の図柄に配した。雌ヒツジ成体Aの乳腺から取り出した細胞を、培養して受精初期の状態にして、その細胞核を、べつの未受精卵に移植し、これを仮母親となる雌ヒツジBの体内で育てたものがドリーで、これは遺伝子構成がAと同じの、いわゆる「クローン」である。誕生は1996年の夏で、論文の掲載は翌67年2月だった。

それからすでに20年ちかくが経過して、生命に特有の生まれる、育つなど──ひろく生殖や発生と言われる分野では、目ざましい展開が進んでいる。農業などのバイオテクノロジー、そして医学の分野では医療の新しい方向が開けている。とりわけ新しい医療の方向性として筆頭に挙げられるのは、周知のips細胞だろう(名付け親は2012年ノーベル賞受賞の山中伸弥京大教授)。Sは「幹細胞(stemcell)」を意味している。未分化の細胞から筋肉、神経、血球など全身の構成部品に分かれ、特殊化してゆく「分化」の出発点になるのが、幹細胞である。受精直後の卵は完全な幹細胞であり、個体発生が進むにつれて、細胞が分化の進んだものになってゆくのが、正常な姿だ。(1)個体発生の経過では細胞は未分化→分化へと進行する。(2)ips細胞では、成体で分化してしまったたとえば皮膚の細胞を取ってきて、特別の4種類の遺伝子を与えると、それが初期の未分化状態に戻すことができて、その後に適当な処理を施すことによって再度、目指す医療目的に使える細胞へと再分化させられる。(3)自然界での再生過程でも、トカゲの尾でそれなりに分化していた細胞が、切断をきっかけとしていったん未分化へと若返り、再度尾の部分の分化した細胞になってゆく。こう考えると、未分化から分化へということを鍵として、いま医療にも利用が試みられはじめた「幹細胞」と、自然界での再生過程と、さらに有性生殖の進行一般を、同じ目線で捉えることができるのではないか。こうした趣旨で解説的な入門向けの小シンポジウムを、いま計画している。


(2013年 夏)
  二つの基準

  以下の記述は、最近のある研究集会で持ち出された問題を発端としている。(ただし元来の焦点は、差別という人間社会での現象にあり、突っ込んだ議論は別の機会に譲る)。 福島の原子炉の事故は、いま日本でもっとも深刻、かつ複雑な事態である。指摘の一つとして、周辺に放出された放射性物質の影響(以下、放射能と略称)が容易に回収されず残留して、後続世代に影響を及ぼすことが危惧されている。これは言ってみれば当然のことで、そもそも遺伝子の本体がまだ五里霧中だった時期に、ハーマン・マラーはショウジョウバエへのX 線照射実験から、動物への放射能の悪影響を説き、1946 年にノーベル賞を得た。人間も動物の仲間だから、放射能による障害児誕生は当然予想される。ところが福島原発反対を訴えながら、次世代への影響を反対の根拠としたがらない立場がある。それを根拠とすると、生まれる子を障害の有無で差別することになるからである。


(2012年 夏)   
  地球環境と人類の進化


 進化の大原則の一つは、自然選択の結果として適当な者が残ることだ。ここで「適当」であることの基準は、概して個々の個体が、環境のもとでどれだけ具合よく生き続けられるかということと理解されてきた。これは必ずしも不都合でない理解だとしても、これだけでは、環境が静的で不動のものという感じが強すぎる。小鳥が小枝や葉を運んできて快適な巣をつくるとき、小鳥は環境にはたらきかけてそれを変えている。だから環境も動的に変わるという視点が、もっと強調されるべきだろう。ただし先回りして、鳥の巣づくりも進化によって育ってきた行動要素の組み合わせであると言ってしまうと、このように先手を打って解答が与えられたことから、問題は解消し、存在しなくなってしまう。個体(生物体)側にまで出張サービスする「還元論」によって、環境の動的性格があいまいになってきたのではないか。ことに人類の場合には環境を改変する能力の巨大さを、進化における要因の一つとして、もっと注目するべきだろう。

  ところがそんなふうに考えていた矢先の一年前に、震災と津波が生じた。やはり最終的には、変えられない巨大な環境として地球そのもの(地殻の構造、プレートテクトニクス)があるのだった。また太陽は生命にとって、その大きさも地球からの距離も原初以来変えることのできない唯一の巨大原子炉であり、この初期条件を無視して人類が組み込んだ地球上でのエネルギー利用活動(「ついに太陽をとらえた」)が、その無理さを露呈したのが原発事故の姿だった。古い時代の人類にとって、地震とか津波は不機嫌な大ナマズあるいは海神の怒りの現れだった。現代がそのような擬人的な迷信や超自然の力に訴えることなく、たとえば地震の原因が大地を載せているプレートの相互間の滑りであることを突きとめ、滑りから生ずる波動をP波、S波などと分析して、実際の揺れに、ごく僅かにせよ先立って、「緊急警報」を発することができるまでに解明できたことは、科学知識の「勝利」のようにも見える。しかしこの解明も結局は、滑りが現実に生ずる可能性は「今後30年間に70パーセント」などと、確率でものを言うことしかできない。原発事故の原因である放射能についても、半減期が何年と、物理的に理解は精密に進んでも、人体が放射線にさらされても平気なように変わるわけではない。生物は――そして当然人間も――、最終的には大きな地球環境が与えている制約のもとで生き続けるほかはない。現代以後の人類進化の姿は、こうしたことも念頭に置いてイメージしてゆかねばならない。


◇◆ 随感 ◆◇

 随感 伝記の翻訳
─ ノーベル賞受賞者3人をめぐって─ 

  ノーベル賞受賞者の伝記の翻訳を三つ、この半年(2006年)ほどの間に刊行することになりそうだ。三本並行して作業したのではない。あれこれの都合で、 作業が一部で遅れて交通渋滞を起こしたのだ(スピード違反はなかった)。第一弾であるウィルキンズの『DNAの第三の男(原題)』はちょうど今日、出来上 がったので訳者贈呈分を送るというメールが、岩波書店の編集部から入った。

  伝記と言っても、正確に自伝と言えるのはこの一冊だけだ。ウィルキンズは1962年にDNA研究でノーベル賞を得た3人のうちの一人だが、有名な二重らせ んモデルを実際に作ったのは他の二人で、ウィルキンズはX線回折という手法で、基礎データを提供した「にすぎない」ことから、モデルはいつも「他の二人」 であるワトソンとクリックの名前で呼ばれる。しかし基礎データは、けっして「~にすぎない」ものでなく、モデル作りで決定的だったと、ウィルキンズらしく 生真面目に説いて、誤解の解消に努めている。ただしキャヴェンディシュ研究所にいた二人と、キングズ・カレッジのウィルキンズは、モデル完成まで独特の交 流関係にあって、協力、しかし競争という科学研究の先端の微妙さも伝わってくる。

  決め手となったX線回折像は、直接には、同じ研究室にいてモデル完成のころ他に移った女性研究者ロザリンド・フランクリンが得ていたもので、これもまた誤 解のたねになった。実際には、ウィルキンズがロザリンドのデータを勝手に流用したというのとは流れが違っていたのだ。誤解を生んだ複雑ないきさつは、今回 の自伝で初めて、本人の筆で詳しく説明されている。

  二冊目の予定はイギリスのアンドルー・ブラウンが書いた『はじめに虫ありき(原題)』という本だ。誰でも知っている一句、「はじめに言葉(word)あり き」をもじって、虫(線虫、worm)としたのは、いかにも才筆のジャーナリストらしく、また駄洒落も大好きな本書の主人公の分子生物学者シドニー・ブレ ナーにもふさわしい。線虫の仲間にはカイチュウ(回虫)のような嫌われ者もいる。しかし現在断りなく線虫と言えば、C・(ケノラブディティス)・エレガン スのことで、そう考えない生物学者は、もぐりと言われても仕方ないほどだ。体長は1ミリにすぎないが、この虫けらをこれほど有名にしたのはブレナーで、 2002年に他の二人とともにノーベル賞を得た。

  線虫は微小ながら、その細胞は細菌などと違って、きちんと核膜に囲まれた核をもつ「真核細胞」で(この語の定義は生物学辞典に譲る)、しかも1,000個 ほどの細胞からなる多細胞動物だ。体に先端と後端があり、神経細胞もあり(脳はないが)、筋細胞、生殖細胞もある。1個の受精卵から全身の体制ができてく る道筋を、遺伝子までつなげて調べる分子発生学の素朴なモデルになる。ブレナーはこのことに目をつけて、20年かけて開拓者となった。足取りは研究グルー プの群像として描かれているが、中心人物は、やはり強烈な個性で引っ張ってきたブレナーだ。近く開校予定とされている沖縄科学技術大学院大学の学長に選ば れ、2004年夏に現地視察した。訳書は青土社から刊行予定。

  三冊目の予定は、デンマーク出身の免疫学者、ニールス・イェルネの伝記だが自伝でなく、セデルキストという科学史の専門研究者が、長時間の会談も含め、相 手と真剣勝負で取り組んだ(イェルネ自身は1994年に死去)。免疫現象では、移植した他者の心臓や皮膚が異物と見なされ排斥される。この現象ではメダ ワーとバーネット(ともに1960年にノーベル賞受賞)の名前を連想する人が多いだろう。しかしその原型の思想を確立したのはイェルネだったが、ノーベル 賞は遅れて1984年、73歳になってからだった。彼の真の関心が理論に絞られていたことも、原因の一つだろう。受賞のころ、エイズは社会でもっとも重視 される病気の一つだったが、意見を聞きたくて群がる報道記者に対して、皮肉でもなんでもなく、「エイズはウイルス病にすぎない。理論的にどうということも ないので、私には興味がない」とイェルネは言い放った。

  この本は、第一線の免疫研究者が邦訳を思い立ったが、どうも波長が合わないというので断念。出版予定の医学書院の知人から、翻訳のお鉢が回ってきた。イェ ルネがオランダで医学部を卒業したのは30歳、熱中した読書は同国人の実存哲学者キェルケゴールのほか、やはり哲学者のバートランド・ラッセル、文学では シェクスピア全集やサド全集...などというのも、異色の存在であることの一斑を示す。訳しながら、もっとも興味もあり手応えもあった。

  書かれ方も中心人物も、じつに対照的な三冊の印象が重なって、論じだすと切りがない。それはまた別の折の宿題となる。

  『文教研れぽーと』2006年春