廣松 渉
廣松 渉(ひろまつ わたる)
(故人)
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プロフィール
著書
シンポジウム・講演会
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・廣松渉氏の遺稿整理を再開 小林昌人
◆本遺稿・関連資料のPDFの一部は、直江清隆 東北大学・教授が、京都大学における講義(日本哲学史特殊講義(2022年度前期:9/5~9/9))において参考スライドとして使用され、また近刊予定の『存在と意味』(上・下)岩波文庫の解説においても使用予定のことと連絡をいただきました。
◎廣松渉遺稿目録 小林昌人
こちらをクリックして下さい →廣松渉遺稿目録_小林昌人.pdf
◎書評:
「本格的・意欲的な廣松論 ”ポスト廣松世代”の若手による」
小林昌人.pdf
◇◆ プロフィール ◆◇
廣松 渉(1933ー1994)
1933年福岡県柳川市生まれ。
1946年中学1年で青共(青年共産同盟:現在の民主青年同盟)に加盟。
中学3年には全国大会に代議員として参加。1949年伝習館高校入学。「20歳以上」の党員資格の例外として日本共産党に入党。
翌年学内で反米ビラをまき、退学処分を受ける。51年大検(大学入学資格検定試験)で受験資格を取得して1952年学芸大学に入学。翌年退学し、54年東京大学へ入学。
歴史研究会に所属して筆名や匿名で盛んに執筆活動をする。59年文学部哲学科卒業。
1965年東大人文科学研究科哲学専門課程博士課程単位取得退学。同年名古屋工業大学に就職。
1967年名古屋大学講師、1969年名古屋大学助教授となるが、1970年3月、学生叛乱を支持して名古屋大学助教授を辞職。
以降、市井の哲学者・マルクス主義理論家として刺激的な発言と研究を続々と世に送る。1976年法政大学、東京大学等の非常勤講師を経て、東京大学助教授。1982年東京大学教授。
1994年3月東大を定年退官後、河合文化教育研究所主任研究員に就任。
同年5月22日午前9時48分呼吸不全のため永眠。
享年60歳。
同25日、東京・高輪で無宗教式の告別式。
喪主は邦子夫人、葬儀委員長は山本信・東京女子大学学長/東大名誉教授。
佐々木力、吉田宏哲、木村敏が弔辞をよむ。通夜、告別式合わせて約600人が参列(弔電150通以上)。
お招きする準備をしていた「廣松渉研究室」をその業績を記念して保存することを決める。
その後、岩波書店から『廣松渉著作集』が出版されることになり、「廣松渉研究室」は著作集編集の拠点となった。
その後整理されたノートや遺稿も保存されている。
なお、『廣松渉著作集』への助成と「廣松渉著作集刊行記念シンポジウム」(96年6月21日岩波書店主催)への協賛も本研究所がおこなった。
近年隣国中国での評価が高まり、『存在と意味』をはじめとして主要な著作の翻訳がなされ、南京大学には「廣松哲学研究室」が作られて業績が展示されている。
また2007年には中国の十余の主要大学・研究機関の哲学者28名が来日し、廣松哲学の意義と可能性を語るシンポジウムが開催された。
◇◆ 著書 ◆◇
『マルクス主義の成立過程』
『マルクス主義の地平』
『唯物史観の原像』
『世界の共同主観的存在構造』
『事的世界観への前哨』
『もの・こと・ことば』
『存在と意味』第1巻、第2巻
『今こそマルクスを読み返す』『廣松渉コレクション』全6巻
『廣松渉哲学小品集』『廣松渉著作集』全16巻(岩波書店)ほか多数
〈主な訳書〉
マッハ「感覚の分析』(共訳)
マルクス・エンゲルス『手稿復元新編輯版ドイッ・イデオロギー』ほか
詳しい年譜と著作目録は河合文化教育研究所発行の『廣松渉 マルクスと哲学を語る』の編者小林昌人の手によって作られている。
◇◆ シンポジウム・講演会 ◆◇