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河合臨床哲学シンポジウム(第7回~第9回)

河合臨床哲学シンポジウム(第7回~第9回)

第9 回河合臨床哲学シンポジウム
時のはざま──クロノスとカイロス

主催:河合文化教育研究所
日時:2009年12月12日 11:00~18:00
会場:中央大学駿河台記念館・281 号


 パウル・クレーに、“So fang es heimlich an”という絵画がある。この挿入句のようなタイトル*には、「そのようにそれはひそやかに始まる」という意味が読みとれる。画面には、A、B、C からZ までの文字が2か所で一順ずつ、「がちゃがちゃと」配置され、小枝のような形体のものもいくつか置かれている。“So” “fang” “es” “heimlich” “an”のそれぞれの文字は、さらにその周辺の画面全体に点在している。
 この絵画の前で、われわれはいくつかの想像をめぐらす。始まる「それ」とは何だろうか。「それ」は、始まることのある様々なものの何かではなく、始まるということを可能にしているもの、「時」のことではないか。そうすると、このタイトルは、この絵が「時」のひそやかな始まりを描いていることを暗示していると考えてもいいはずだ。しかし、「時」というのはそもそも始まり得るものなのだろうか。われわれが生まれ落ちるとき、われわれが人と会話を始めるとき、もうすでに「時」は始まっているのではないか。いや、いろいろなところで実はわれわれは「時」の始まりに出会っているのかもしれない。それにしても、なぜある「点」にしか生じないはずの「時」の始まりがかくも巧妙に画面に示され得るのか。この始まりの出来事はひと固まりの潜在性を携えていて、画家の直観がそれを空間に展延したのか。
 時間論は、自然科学に包摂されない精神病理学の特権領域であった。自然科学は、対象を、正確な観測と正確な推論にもとづいて扱う。第一の正確さは、クロノスの時間計測の正確さに基づき、第二の正確さは、時間の介入を許さない論理的推論の正確さに基づく。しかし、人と人の間に、精神病理現象は、このふたつの正確さをもたらしている範疇には包摂されない様々な時間体験として現れる。たとえば、外界がいつものように進んでいるのに内界はそれと切り離され遅遅として進まないうつ病患者の時間。ある意志を実行に移そうとするとそのとたんに「声」に横槍を入れられてしまう統合失調症患者の時間体験。われわれが会話をするときには内から何かが感情と言葉をもって他者に向かって動き出そうとするのに、この動きのなかなか生じないある種の発達障害の人の時間性の不可思議さ。さらには、しばしばカイロスの時を待って始めて治療が動き出すという精神科臨床の特殊性。
 哲学は、もちろん、膨大な思索の蓄積をもってこれらの多様な時が臨床家に課す難題を迎え撃つであろう。それはさらに、自然科学的時間と精神病理学的時間の懸隔までを射程に入れるであろうか。
 このようにして、時についての思索はひそやかに始まる。
* この句は、バッハがアンナ・マグダレーナの音楽帳の中で曲をつけた無名の詩人の以下の詩行から、クレーが切り取ってきたものと考えられている。その詩の中ではこの句は、「それならそれをひそやかに始めておくれ」と語っている。
 Willst du dein Herz mir schenken, So fang es heimlich an,
 Dass unser beider Denken Niemand erraten kann.


■ PROGRAM
〔 発表 〕
深尾憲二朗「 精神病の深度と複数の時間性──アンテ・フェストゥム再考」
檜垣立哉「 賭博の時間」
内海 健「 時間の深淵──精神病をめぐって」
谷 徹「 時に思索」
〔 討論 〕
第1部 発表者とコメンテーターによる討論
第2部 フロアからの質問も含めて全体討論


■ PROFILE
●シンポジスト

深尾憲二朗
1966年生まれ。
京都大学医学部精神科院内講師。
臨床てんかん学、精神病理学。
主著:『てんかん─その精神症状と行動』(新興医学出版社 共著)、「精神病の深度と複数の時間性─アンテ・フェストウム再考」『空間と時間の病理』(河合文化教育研究所)。

檜垣立哉
1964年生まれ。
大阪大学人間科学研究科教授。
哲学。
主著:『ドゥルーズ入門』(ちくま新書)、『賭博/偶然の哲学』(河出書房新社)、『生命と現実 木村敏との対話』(河出書房新社 共著)。

内海 健
1955年生まれ。
東京藝術大学保健管理センター准教授。
精神病理学。
主著:『「分裂病」の消滅』(青土社)、『精神科臨床とは何か』(星和書店)、『うつ病の心理』(誠信書房)、『パンセ・スキゾフレニック』(弘文堂)。

谷 徹
1954年生まれ。
立命館大学文学部人文学科哲学専攻教授、間文化現象学研究センター所長。
哲学。
主著:『意識の自然』(勁草書房)、『これが現象学だ』(講談社現代新書)。

●司会者
木村 敏
1931年生まれ。
京都大学名誉教授、河合文化教育研究所所長・主任研究員。
精神病理学。
主著:『関係としての自己』(みすず書房)、『分裂病の詩と真実』(河合文化教育研究所)、『木村敏著作集』全8巻 (弘文堂)。

野家啓一
1949年生まれ。
東北大学理事・附属図書館長・大学院文学研究科教授。
現代哲学・科学哲学。
主著:『科学の解釈学』(ちくま学芸文庫)、『物語の哲学』(岩波現代文庫)、『パラダイムとは何か』(講談社学術文庫)。


●コメンテーター
中島義道
1946年生まれ。
「哲学塾」主宰。
カントを中心とする時間論・自我論。
主著:『カントの時間論』(岩波現代文庫)、『カントの自我論』(岩波現代文庫)、『時間論』(ちくま学芸文庫)。

十川幸司
1959年生まれ。
十川精神分析オフィス。
精神分析、精神病理学。
主著:『精神分析への抵抗』(青土社)、『思考のフロンティア 精神分析』(岩波書店)、『来るべき精神分析のプログラム』(講談社)。

 


第8回河合臨床哲学シンポジウム
空間──開けとひずみ

主催:河合文化教育研究所
日時:2008年12月27日 11:00~18:00
会場:東京国立博物館 平成館大講堂

 北イタリアのヴィチェンツァという小都市で、ロシア正教のイコンを集めた美術館に立ち寄ったことがある。カトリックの聖母子像や磔刑図にいささか倦んでいた目に、それらの図像はなんともいえぬ落ち着きを与えるものだった。千年もの歳月を経たイコンの中を歩んでいるうちに、ひときわ荘厳な聖母像が目を引いた。はたしてどれほど古いものかとプレートに目をやると、驚いたことにそれは20世紀初頭に描かれたものであった。そういえばロシア・イコンの様式は不変であると聞いたことがある。画工たちにはまったく同一のものを伝承するという掟があるらしい。つまりは書き手の主体が入り込む余地がないのである。差異は生まれず、世俗的な時間は流れない。感情移入も届かない。観る者がそこに入り込むことはできないのである。だが、それは聖なる空間であり、その前にたたずむものに静謐な、そして永遠の時間を感じさせる。
 ルネサンスにいたると、西欧絵画は遠近法的な奥行きを獲得する。画布は観るものの目と対応する空間となる。しかしそのためには、少なくとも一個の特異点、つまりは無限遠点が刻まれなければならない。こうして空間は自らが成立する際に塗りこめたはずの「点」という否定性を抱え込むことになるのだが、それと引き換えに、主体はみずからのまなざしが繋留するニッチを見出すことになる。また同時に、こうした空間の変容は科学的な世界観を生み出す背景ともなった。遠近法的空間が、それを生み出したはずの無限遠点を捨象するなら、どこまでいっても等質的で斉一な延長である無限の空間が出来上がる。そうなると主体はどこにみずからの居場所を求めればよいのだろうか。こうした危険を察知したのか、バロック期になると、無限遠点は画布の中心から周縁に場を移動させはじめる。あたかも主体が斜めから身をさしはさめることを目論んだかのように、ゆがんだ空間が析出した。
 そして近代、さらに現代へと、主体と空間のかかわりは変遷する。もはや通俗科学的空間がすみずみまで浸透して、襞のないのっぺりした世界にわれわれはいるのかもしれない。しかし空間を開くその挙措が、空間のゆがみとして、あるいは痕跡として、どこかに潜んでいる。それは生命の根源ともどこかでつながっているだろう。哲学と精神医学の叡智をもって、探索を開始しようではないか。

■ PROGRAM
〔 発表 〕
野間俊一「 飛翔と浮遊のはざまで──現代という解離空間を生きる」
加國尚志「 私は、今ここで、あそこにいる──メルロ=ポンティにおける身体と空間」 津田 均「 時間に由来する空間の捩れとその斉一化──臨床例から」
古東哲明「 無境の空間」
〔 討論 〕
第1 部 発表者とコメンテーターによる討論
第2 部 フロアからの質問も含めて全体討論

■ PROFILE
●シンポジスト
野間俊一
1965年生まれ。
京都大学大学院医学研究科脳病態生理学講座(精神医学)講師。
青年期精神医学。
主著:『身体の哲学』(講談社)、『エスとの対話』(新曜社)、『ふつうに食べたい』(昭和堂出版)。

加國尚志
1963年生まれ。
立命館大学文学部人文学科哲学専攻教授。
哲学。
主著:『自然の現象学』(晃洋書房)、「メルロ=ポンティ」『哲学の歴史12』(中央公論新社)。

津田 均
1960年生まれ。
名古屋大学学生相談総合センター、大学院医学系研究科准教授。
精神病理学。
主著:『うつ病論の現在』(星和書店共著)、「境界の哲学と精神科臨床」『身体・気分・心-臨床哲学の諸相』(河合文化教育研究所)。

古東哲明
1950年生まれ。
広島大学大学院総合科学研究科教授。
臨床哲学、現代思想。
主著:『〈在る〉ことの不思議』(勁草書房)、『他界からのまなざし』(講談社)、『ハイデガー』(講談社現代新書)、『現代思想としてのギリシア哲学』(ちくま学芸文庫)。

●司会者
坂部 恵
1936年生まれ。
東京大学名誉教授。
哲学。
主著:『モデルニテ・バロック.. 現代精神史序説』( 哲学書房)、『〈ふるまい〉の詩学』( 岩波書店)、『坂部恵集』全5巻(岩波書店)。

野家啓一
1949年生まれ。
東北大学理事・附属図書館長・大学院文学研究科教授。
現代哲学・科学哲学。
主著:『科学の解釈学』(ちくま学芸文庫)、『物語の哲学』(岩波現代文庫)、『パラダイムとは何か』(講談社学術文庫)。

内海 健
1955年生まれ。
帝京大学医学部精神神経科准教授。
精神病理学。
主著:『「分裂病」の消滅』(青土社)、『精神科臨床とは何か』( 星和書店)、『うつ病の心理』(誠信書房)、『パンセ・スキゾフレニック』(弘文堂)。

●コメンテーター
木村 敏
1931年生まれ。
京都大学名誉教授、河合文化教育研究所所長・主任研究員。
精神病理学。
主著:『関係としての自己』(みすず書房)、『分裂病の詩と真実』(河合文化教育研究所)、『木村敏著作集』全8巻(弘文堂)。

廣瀬浩司
1963年生まれ。
筑波大学大学院人文社会科学研究科准教授。
フランス現代思想。
主著:『デリダ』( 白水社)、『哲学を使いこなす』(東洋大学哲学科 編、知泉書館 共著)。

 

第7 回河合臨床哲学シンポジウム
〈作ること〉と〈作りごと〉

主催:河合文化教育研究所
日時:2007年12月1日 11:00~18:00
会場:東京国立博物館 平成館大講堂

 ホモ・ファーベル、「製作するヒト」としての人間。人間は道具を製作することによって動物界に君臨した。しかし製造技術は行き着くところ、人間の、さらには生命界全体の破滅へとつながってはいかないか。
 人間だけでなく、動物だけでなく、植物も太陽エネルギーを精一杯取り入れて、花を咲かせ、実をつけて子孫を作る。動物に、人間に、わが身を与えて生命界を育てながら。
 「作られたものは作るものを作るべく作られたのであり、作られたものということそのことが、否定せられるべきであることを含んでいるのである。しかし作られたものなくして作るものというものがあるのではなく、作るものはまた作られたものとして作るものを作って行く」と西田幾多郎はいう。
 最も本源的な「作ること」、それはやはり子を作ることだろう。作られた子がさらに子を作ることによってのみ、生命の連続が保たれる。
 動物は繁殖のために巣を作る。あるいは蜘蛛の巣のように、栄養をとって繁殖に役立てるためになにかを作る。つがいを作り、群れを作るのも、やはり繁殖のためにほかならない。
 人間だけが唯一、繁殖の目的を離れてものを作る。しかしヴァイツゼカーは、作品と子どもを同列に置く。どちらも、生命を死後にまで延長する不死願望の表れだというのである。個体が何かを作るのは、個体が自らの意志でそれを作るのではなく、生命が、あるいは「エス」が、おのれを永らえようとして、おのれの乗り込んでいる個体にそれを作らせているのではないか。
 「作りごと」、これもやはり生命維持の営みではあるだろう。植物にすら見られる擬態。子を作ることが、個体の生存を超えて種全体の、さらにいえば生命界全体の存続につながっているとすれば、擬態という「作りごと」の目的は、せいぜいその種だけの生存に限られていると言ってもよい。それは、「作る」という無限の生命それ自体の営みが、結局は個体の有限な生命活動に委ねられていることの現れなのかもしれない。
 「おのずから」の無尽蔵な生命をわが身に引き受けて、それ自身のことを「みずから」という個体が、自分自身の存続を、自分自身との自己同一を求めて「セルフ」となる、その機微にこそ「作ること」と「作りごと」とのあいだの緊張関係が潜んでいるように思われる。ここにもやはり、哲学と精神医学の接点に生じる大きな問題のひとつがあるだろう。

■ PROGRAM
〔 発表 〕
渡辺哲夫「精神病理学を作ることの原理的な困難について」
河本英夫「自己組織プロセスとしての制作」
北山 修「人生をつくる──精神分析における劇的な観点」
坂部 恵「ポイエーシスとプラーグマ──ふり・かたり・つき」

〔 討論 〕
第1部 発表者とコメンテーターによる討論
第2部 フロアからの質問も含めて全体討論

■ PROFILE
●シンポジスト
渡辺哲夫
1949年生まれ。
稲城台病院精神科医師。
精神病理学。
主著:『死と狂気』(筑摩書房)、『二〇世紀精神病理学史』(筑摩書房)、『〈わたし〉という危機』(平凡社)。

河本英夫
1953年生まれ。
東洋大学文学部哲学科教授。システム・デザイン。
主著:『オートポイエーシス..第三世代システム』(青土社)、『システム現象学』(新曜社)、『哲学、脳を揺さぶる』(日経BP社)。

北山 修
1946年生まれ。
九州大学大学院人間環境学研究院・医学研究院教授。精神分析医。
精神分析学。
主著:『劇的な精神分析入門』(みすず書房)、『幻滅論』(みすず書房)、『精神分析理論と臨床』(誠信書房)。

坂部 恵
1936年生まれ。
東京大学名誉教授。
哲学。
主著:『モデルニテ・バロック..現代精神史序説』(哲学書房)、『〈ふるまい〉の詩学』(岩波書店)、『坂部恵集』全5巻(岩波書店)。


●司会者
木村 敏
1931年生まれ。
京都大学医学部名誉教授。河合文化教育研究所主任研究員。
内因性精神病の精神病理学。
主著:『分裂病の詩と真実』(河合文化教育研究所)、『木村敏著作集』全8巻 (弘文堂)、『関係としての自己』(みすず書房)。

谷 徹
1954年生まれ。
立命館大学文学部人文学科哲学専攻教授。
哲学。
主著:『意識の自然』(勁草書房)、『これが現象学だ』(講談社現代新書)。

●コメンテーター
内海 健
1955年生まれ。
帝京大学医学部精神神経科准教授。
精神病理学。
主著:『「分裂病」の消滅』(青土社)、『精神科臨床とは何か』(星和書店)、『うつ病新時代』(勉誠出版)。

斎藤慶典
1957年生まれ。
慶応義塾大学文学部哲学科教授。
哲学。
主著:『思考の臨界..超越論的現象学の徹底』(勁草書房)、『力と他者..レヴィナスに』(勁草書房)、『心という場所..享受の哲学のために』(勁草書
房)。