河合臨床哲学シンポジウム(第4回~第6回)
河合臨床哲学シンポジウム(第4回~第6回)
第6 回河合臨床哲学シンポジウム
〈かたり〉の虚と実
主催:河合文化教育研究所
日時:2006年12月9日 11:00~18:00
会場:東京国立博物館 平成館大講堂
われわれの存在は、開かれつつ、引き裂かれている:世界との関係において、他者との関係において、そして自己自身との関係において。あるいは、われわれの存在は、解離の亀裂に脅かされつつ開示されている、と言ってもよい。「開かれ」と「引き裂かれ」、「開示性」と「解離性」、「真理」と「虚偽」。こうした二重構造を示す最たるものこそ、言語であろう。
すでにフロイトは、患者の言語が、抑圧によって、真理を語らないこと、いや語れないことを見抜いていた。では、精神分析自身の言葉は真理を語るのか。だが、フーコーは、患者に語らせる精神分析、そして精神医学一般が、「真理」をほとんど捏造的に引き出すことを見抜いていた。とすれば、患者の言葉に関わる精神医学とは何なのか。
とはいえ、言語は、ハイデガーにおけるように、存在の家であるならば、存在の隠れなき真理の家でもあるのではないか。端的には詩人において、真理は言語として現れるのではないか。しかし、そこにすら、虚偽が生じているのではないか。「語り」はつねに同時に「騙り」ではないのか。とすれば、おそらく、いかなる「真言」も同時に「虚言」なのだ。
引き裂かれたわれわれの存在は、言語に媒介されてさらにいっそう引き裂かれる。もしわれわれの無意識が言語的に構造化されているのであれば、それは、この結果なのかもしれない。そうであれば、安住すべき「家」がどこにあるだろう。われわれの存在を開示する根本気分といえども、この二重性を免れない。そこには、引き裂かれたわれわれの存在の隠蔽がある。とすれば、これまでの考察をさらに越えて進まねばならない。
今や問われるべきは、ラングとパロール、発話と沈黙、発語内行為と発語媒介行為、経験的なものとしての言語と超越論的なものとして言語、あるいはその他もろもろの言語概念の対比関係ではない。われわれの引き裂かれた存在の、真言であると同時に虚言であるような言語なのである。そして、このように語る言語そのものなのである。
■ PROGRAM
〔 発表 〕
木村 敏「 物語としての生活史」
浜渦辰二「語りとパースペクティヴ」
藤山直樹「 本物という感覚─精神分析的な臨床事実の事実性」
大橋良介「〈聞くこと〉の虚と実」
〔 討論 〕
第1部 発表者とコメンテーターによる討論
第2部 フロアからの質問も含めて全体討論
■ PROFILE
●シンポジスト
木村 敏
1931年生まれ。
京都大学医学部名誉教授。河合文化教育研究所主任研究員。
精神病理学。
主著:『分裂病の詩と真実』(河合文化教育研究所)、『木村敏著作集』全8巻 (弘文堂)、『関係としての自己』(みすず書房)。
大橋良介
1944年生まれ。
大阪大学大学院文学研究科教授。
哲学・美学。
主著:『放下・瞬間・場所』(創文社)、『切れの構造』(中央公論社)、『聞くこととしての歴史』(名古屋大学出版会)。
藤山直樹
1953年生まれ。
国際精神分析学会認定精神分析家、精神科医。
1999 年より東京神宮前で個人開業。
上智大学総合人間科学部教授。
精神分析。
主著:『精神分析という営み』(岩崎学術出版社)。
浜渦辰二
1952年生まれ。
静岡大学人文学部教授。
人間学。
主著:『フッサール間主観性の現象
学』(創文社)、『〈ケアの人間学〉入門』(編著、知泉書館)、『Zur Phanomenologiede s Un s i c h tba re n : Hu s s e r l u ndHeidegger」(in: Die erscheinende Welt.Festschrift fur Klaus Held, Duncker &Humblot)。
●司会者
谷 徹
1954年生まれ。
立命館大学文学部人文学科哲学専攻教授。哲学。
主著:『意識の自然』(勁草書房)、『これが現象学だ』(講談社現代新書)。
津田 均
1960年生まれ。
名古屋大学精神健康医学、学生相談総合センター助教授。精神科医。
精神病理学。
主著:『うつ病論の現在』( 星和書店 共著)、『Das Mass des Leidens』(Koenighausen&Neumann 共著)。
●コメンテーター
坂部 恵
1936年生まれ。
東京大学文学部名誉教授。
哲学。
主著:『モデルニテ・バロック──現代精神史序説』(哲学書房)、『〈ふるまい〉の詩学』(岩波書店)、『坂部恵集』全5巻(岩波書店)。
内海 健
1955年生まれ。
帝京大学医学部精神神経科助教授。
精神病理学。
主著:『「分裂病」の消滅』( 青土社)、『精神科臨床とは何か』(星和書店)、『うつ病新時代』(勉誠出版)。
第5 回河合臨床哲学シンポジウム
気分の現象学と病理
主催:河合文化教育研究所
日時:2005年12月3日 11:00~18:00
会場:東京国立博物館 平成館大講堂
「気分」という言葉は、どことなく軽いイメージを与える。「気分悪い」、「そんな気分じゃない」などと耳にすると、すりへった貨幣のような響きさえある。はたして臨床哲学とどのような接点をもつのだろうか。
従来「感情障害」や「情動障害」と呼ばれていた「うつ病」が、米国に倣って「気分障害」 mood disorder と命名されたとき、「かくも軽く見られたものか」という思いを、多くの精神科医がもった。だがそれはすぐさま定着し、今ではさしたる抵抗なく使用されている。
大きな情動のうねりをともなったかつての「うつ病」、それらの多くは「メランコリック」と形容するにふさわしいものであった。梃子でも動かぬが、一旦回復軌道に乗れば、ゆるぎない曲線を描いて治癒というゴールにたどり着いた。
いまや「うつ病」もまた、すりへった貨幣のごとく流通している。かつてあれほど人の了解を峻拒してきた病であったはずなのに、今はもう、さしたる科学的な裏づけもないままに、過労でなり、ストレスでなると言われる。精神科医を訪れる人はあとをたたない。そして病気は顕著に軽症化した。「気分障害」はやはり軽いのかもしれない。
しかし臨床が軽くなったかというと、そういうわけではない。一見容易にみえて、長引いたり、こじらせたりする事例があとをたたない。それどころか、死への障壁は、はるかに薄く、脆弱なものとなった。こうした移り行きをみるとき、「気分」という言葉が流布されるのには、何か理由があるのだろう。言葉自体は確かに軽い。しかし、軽さゆえの哀しみがそこにはある。
彼らは何を失ったのだろうか? かつてのうつ病がもっていた「うねり」、それは生命が病んでいる徴候であると同時に、そこに確かに触れていたことを示している。しかし、そのはるか以前から、生命の源泉が涸れ始めた徴候はなかったのだろうか。
科学革命からこのかた、われわれの中で、生命との剥離が進行している。そして近代以降の二元論は、精神と物質、こころとものが対峙する構図の中で、密かに生命という領域を圧迫してきたのではないだろうか。近代のエピステメーが蔓延する中で、その間を縫うように、生命の思考はその姿を出没させてきた。「気分」もまた、二元論を揺るがす契機であり、すぐれて哲学的思考の対象となるだろう。
他方、気分を病む人たちも、生命の涸渇に苦しんでいる。身体を傷つけ、あるいは刹那的な陶酔に身を委ねて、絶望的に取り戻そうとしている人さえいる。それゆえ、臨床家もまた哲学者と同じく、生命を与え返す使命を帯びている。「気分の臨床哲学」は時代の要請なのである。
■ PROGRAM
〔 発表 〕
鈴木國文「『憂うつ』の機能と病理」
山形賴洋「不安の身体」
内海 健「メランコリーの深層」
新田義弘「知の自証性と生の根本気分(Grundstimmung)」
〔 討論 〕
第1部 発表者とコメンテーターによる討論
第2部 フロアからの質問も含めて全体討論
■ PROFILE
●シンポジスト
新田義弘
1929年生まれ。
東洋大学名誉教授。
哲学。
主著:『現象学』( 岩波書店)、『現象学と近代哲学』(岩波書店)、『世界と生命』
(青土社)。
山形賴洋
1943年生まれ。
同志社大学文学部教授。
哲学。
主著:『声と運動と他者─情感性と言語の問題』(萌書房)、『Michel Henry, L’Epreuve de la vie』(LesEditions du Cerf 共著)、『Perspektivendes Lebensbegriffs-Randgange derPhanomenologie』(Olms 共著)。
鈴木國文
1952年生まれ。
名古屋大学医学部保健学科教授、名古屋大学学生相談総合センター長( 併任)。
精神病理学。
主著:『神経症概念はいま』(金剛出版)、『トラウマと未来』(勉誠出版)、『無意識の構造と美術』(日本評論社)。
内海 健
1955年生まれ。
帝京大学医学部精神神経科助教授。
精神病理学。
主著:『スキゾフレニア論考』(星和書店)、『「分裂病」の消滅』(青土社)、『精神科臨床とは何か』(星和書店)。
●司会者
木村 敏
1931年生まれ。
京都大学医学部名誉教授。河合文化教育研究所主任研究員。
精神病理学。
主著:『関係としての自己』(みすず書房)、『分裂病の詩と真実』(河合文化教育研究所)、『木村敏著作集』全8巻( 弘文堂)。
谷 徹
1954年生まれ。
立命館大学文学部人文学科哲学専攻教授。
哲学。
主著:『意識の自然』(勁草書房)、『これが現象学だ』(講談社現代新書)。
●コメンテーター
坂部 恵
1936年生まれ。
東京大学文学部名誉教授。桜美林大学文学部客員教授。
哲学。
主著:『モデルニテ・バロック──現代精神史序説』(哲学書房)、『〈ふるまい〉の詩学』(岩波書店)、『仮面の解釈学』(東京大学出版会)。
津田 均
1960年生まれ。
名古屋大学精神健康医学、学生相談総合センター助教授。精神科医。
精神病理学。
主著:『うつ病論の現在』( 星和書店 共著)、『Das Mass des Leidens』(Koenighausen&Neumann 共著)。
第4 回河合臨床哲学シンポジウム
越境する身体
主催:河合文化教育研究所
日時:2004年11月27日 11:00~18:00
会場:東京国立博物館 平成館大講堂
人間は、知をもった段階ですでに越境する存在となっているといってよいのではないでしょうか。人間は、自己の生誕の前のことについての知と死のあとのことについての予期を意識の上に保持して生活しています。これは動物には考えられないことでしょう。特に自己の生誕以前についての知は、人間の起源をはるかに遡り、宇宙の起源を、蓋然性をもって知り得るところにまで進展しました。
それでは、人間は自分が自己身体へと限定されていることからも越境しようとするでしょうか。この問はわれわれを、死後の魂の存在という宗教的な問へ導きます。しかし精神科医はまた、統合失調症という病にかかった人の言動に、この限定への造反が見出されることを知っています。たとえば、シュレーバーは統合失調症の中で回想録を残した人ですが、死後人間の魂は神経付属物を介して永遠の世界に導かれると述べて、物質と魂、生と死の間を越境する確信を保持し、譲りませんでした。
このような問題は、自己、宇宙の起源、物質と魂の関係といった問題のレベルに、いわば物理学的探求や存在論的な哲学的問に親和性の高い層に位置しています。そのかたわらには、生物学的な技術の進展と社会倫理的な問題に親和性のある層があり、今日ではむしろそこでの越境の方がアクチュアルな問題となってきました。各種の移植や細胞からの代用器官の形成といった技術の進展は、生物学的身体が技術によって越境し得ることを示しましたが、そのことの心理的、社会倫理的な意味はいまだ見通されていません。また、さまざまな文化から、人々は、大義をもって支配しようとしたり、流れ着いて保護と糧を得ようとしたりして他の文化へ越境しますが、それに対してどのような法、倫理をもって対処するのかは、現代の政治の緊急で最重要の課題と言えるでしょう。
境界例やひきこもりといった病態は、実はこのレベルでの境界の問題と無縁ではなさそうです。彼らは、家族や組織という境界をもった閉域を作る営みにひそむ虚偽を目ざとく見抜いた結果、臨床例として析出してくるところがあるからです。今日、戯れの自傷行為から本当の自殺に至る人、改造し、器具を入れることによってなんとか身体をまとまりの中につなぎとめている人も増えています。統合失調症のような病態には、われわれが存在論的に常識として受け入れている限定を越えるという面があるのに対し、このような病態は、社会倫理的に常識とされる限定が無効となりそうな地点まで境界の内部が溶け出すような現象であるとも言えるのではないでしょうか。
臨床哲学は、このような境界、越境の問題と身体の問題を、どのように彫琢することができるでしょうか。
■ PROGRAM
〔 発表 〕
津田 均「境界の哲学と精神科臨床」
廣瀬浩司「反転する身体とパースペクティヴ性─メルロ=ポンティの身体論」
加藤 敏「身体の現象学から身体の精神分析へ」
坂部 恵「仮面の眼─はるかなる視線」
〔 全体討論 〕
第 1 部 発表者とコメンテーターによる討論
第 2 部 フロアからの質問も含めて全体討論
■ PROFILE
●シンポジスト
坂部 恵
1936年生まれ。
東京大学文学部名誉教授。桜美林大学文学部客員教授。
哲学。
主著:『〈ふるまい〉の詩学』(岩波書店)、『ヨーロッパ精神史入門』(岩波書店)、『仮面の解釈学』(東京大学出版会)。
加藤 敏
1949年生まれ。
自治医科大学精神医学教室教授。
精神病理学。
主著:『構造論的精神病理学』(弘文堂)、『分裂病の構造力動論』(金剛出版)、『創造性の精神分析』(新曜社)。
津田 均
1960年生まれ。
名古屋大学精神健康医学、学生相談総合センター助教授。
精神科医。精神病理学。
主著:『新世紀の精神科治療.気分障害の診断学』(中山書店 共著)、『Das Massdes Leidens 』(Koenighausen&Neumann共著)。
廣瀬浩司
1963年生まれ。
筑波大学現代文化・公共政策専攻助教授。
フランス現代思想。
主著:『知の教科書デリダ』(講談社選書メチエ 共著)、『哲学を使いこなす』(東洋大学哲学科 編、知泉書館 共著)。
●司会者
谷 徹
1954年生まれ。
立命館大学文学部人文学科哲学専攻教授。
哲学・倫理学。
主著:『意識の自然』(勁草書房)。『これが現象学だ』(講談社
現代新書)。
内海 健
1955年生まれ。
帝京大学医学部精神神経科助教授。
精神病理学。
主著:『スキゾフレニア論考』(星和書店)、『「分裂病」の消滅』(青土社)。
●コメンテーター
木村 敏
1931年生まれ。
京都大学医学部名誉教授、河合文化教育研究所主任研究員。
精神病理学。
主著:『時間と自己』(中公新書)、『分裂病の詩と真実』(河合文化教育研究所)、『木村敏著作集』全8巻( 弘文堂)。
野家啓一
1949年生まれ。
東北大学大学院文学研究科教授。
科学哲学。
主著:『科学の哲学』(放送大学教育振興会)、『クーン』(講談社)、『物語の哲学』(岩波書店)。