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内藤湖南研究会〈 主宰:山田伸吾 〉

 

内藤湖南研究会〈 主宰:山田伸吾 〉

研究会紹介
・内藤湖南とはどういう人か。     2003年春 「文教研れぽーと」より    (文責 谷川道雄)

 

研究会紹介
 内藤湖南(本名虎次郎、1866─1934)は、日本近代における知の巨人の一人である。彼はジャーナリスト・政治評論家として、又東洋学者として卓越した足跡を残し、その史論は今日なお世界の学界で論議されている。中国史における京都学派も、湖南を起点とするものである。

 湖南は中国伝統時代に達成した文化と社会の熟成を高く評価し、その見地から、現代中国がそれ自身の特質に基づいて近代国家として自立してゆくべきだと主張した。これは近代化即欧米化とする通念に対する思想的挑戦であった。

 内藤湖南研究会は、湖南の思想に学びたいと志す人たちによって、1996年から開始された。メンバーは河合塾講師の他、各大学の名誉教授・教授・准教授・高校教諭・大学院生・一般社会人より成り、ともに初心者の立場に立って湖南の著作を会読し討論してきた。発足後16年の2012年10月には、140回目の例会を迎える。研究会の成果としては、まず論文集『内藤湖南の世界 アジア再生の思想』(2001年本研究所刊)を世に問い、『研究論集』第5集「内藤湖南特集号」(2008年)と共に全国的に注目されて、しばしば引用されている。なお『内藤湖南の世界』は中国でも翻訳出版された。
 本会の現在の目標は、湖南の主張の根底をなしている思想構造を全面的に解明することにあり、目下各メンバーがそれぞれのテーマを通じてこの問題に立ち向かっている。

 

 

内藤湖南とはどういう人か。     2003年春 「文教研れぽーと」より    (文責 谷川道雄)

中国の歴史は唐から宋への移行過程、つまり紀元10世紀に、政治・経済・文化のすべてにわたって、巨大な変化を経験した。このことはどの世界史教科書にも書いてあって、高校生にとっては常識である。しかし“コロンブスの卵”というたとえもある。これまで単なる王朝興亡史のように見られがちだった中国史に、一大社会変革が起こっていたという説が、1920年代初頭、一人の学者によって衝撃的に提起された。
その学者が、内藤湖南(1866-1934)である。その説は今や中国史の通説となり、世界的にも認められている。

明治以後、幾多のすぐれた歴史家が生まれたが、内藤湖南は、その中でも断然抜きんでた存在で、その思想は現代に生きている。彼は本名虎次郎。明治維新の前年、秋田の藩儒の家に生まれた。生家が十和田湖の南にあったので、湖南と号した。

はじめ『万朝報』や『朝日新聞』の記者としてジャーナリズムの世界で活躍したが、のちに新設の京都大学文学部(当時文科大学)東洋史学の教授となった。東アジアの歴史と文化の解明に天才的な能力を発揮したが、とくに中国史発展のすじ道を明らかにした点が画期的である。

しかし彼は単に過去のみを追う学者ではない。清末一民国と近代化に向って苦悩する中国の現実を直視し、中国の進路は、数千年の歴史の巨大な流れに沿って考えるべきことを主張した。その的確な中国論は、巨視的な史論に支えられて、国内外に多大な影響を与えた。

内藤湖南研究会の現在

その死後、60余年を経て、約5年前この知的巨人に学びつつ自分自身の学問と思想を問い直そうとして生まれたのが、この研究会である。ほぼ月1回の割合で河合塾京都校で開かれているが、メンバーは約20名、文教研の研究員、各大学(愛知大・大阪市大・鹿児島大・京都大・京都外大・高知大・東海大・徳島大・新潟大・山口大)の名誉教授・教授・助教授、大学院在学者・修了者、湖南顕彰会員などから成り、中国人研究者も交えている。

毎回、交代で報告を行なうが、湖南の著作を読むこと、湖南の思想に関する研究を発表することを、随時組み合わせている。2001年3月に刊行した『内藤湖南の世界-アジア再生の思想』(河合文化教育研究所発行)は、その最初の成果報告である。本書の中国における翻訳出版の話も持ち上がっている。

内藤湖南は、東アジアの近代化が、脱亜論的発想ではなく、アジア自身の歴史と文化をふまえて推進されねばならないとした。近代化は決して欧米化の同義語ではない。では、その固有の近代化とは何か、またそれの前提となる歴史とは何か。内藤湖南研究会はこの21世紀的課題を正面にすえて、これからも湖南の思想の深部に迫ってゆくだろう。

                     以上