11.チベット。欲望、祈り、巡礼
印象的だった旅のうちのひとつチベット、ヒマラヤについて、話をします。
チベットというのはもともとはチベット人の国です。
今は中国に侵略されていますけど、もともとイランとかスーダンみたいに宗教で統治をしていました。
だからお坊さんが国を支配する。
神権政治というか、階級社会なんです。
要するにお坊さんたちを中心とした貴族階級がいる。
その下に平民がいるという構造になっています。
平民の中に遊牧民と、それから農民がいる。
その下に下層労働者がいて、その人たちは家畜を持っていない。
そして農民とか遊牧民の手伝いをしている。
ところが中国が入ってきて、みんなになるべく平等に、階級社会をなくそうとした。
ところがうまくいかない。
人民公社を作っていろいろやりましたが、結局人民公社は失敗しました。
1981年に人民公社が解散した時に何をしたかというと、
中国政府はチベット人、特に遊牧民に、同じ数だけの家畜を分けました。
それは、おじいちゃんおばあちゃんにも、赤ちゃんにも全部同じ数。
ヤクを5頭、山羊を7頭、それから羊を25頭、全員同じ数だけ分けました。
分けたこと自体が興味深いのではなくて、
それから5年後にアメリカ人の文化人類学者が入って調べてみたら面白い結果が出ました。
面白いという表現はよくないかも知れないけど、どういうことかというと、
みんな平等に分けたのに、
5年後に家畜をたくさん持ってる人と、持ってない人と、まったく持ってない人もいたというのです。
たった5年なのに。
それだけで何か意味があるということでもありませんが、
今度は、持ってる人と家畜を全部失ってしまった人とをよく調べてみたら、
もっと興味深いことが出てきたというのです。
それは何かというと、たくさん家畜を持っている人は、もともとの富裕階級で、
持っていなかった人、家畜を失った人は、もともと下層労働者だったというのです。
どうしてそんなことが起こるのでしょうか。
いろいろな解釈がある。
みなさんにも、むしろどう解釈するか、どう思うか聞きたいくらいです。
いろんな考え方があると思います。
ひとつには、もともとの富裕層というのは大家族を形成している。
だからトータルしてみれば、大家族総体として、
赤ちゃんから年寄りまで同じ数だけ分けたので、
たくさんの家畜をもらったんだという人もいる。
その他に経営手腕、要するに管理の能力の問題。
やっぱり下層労働者たちはそういうことをしたことがないのでうまくいかなくて、
もともと管理していた人間の方がうまいのではないか。
もうひとつは勤労意欲。
南米でもあったんですけど、
まあ土地とかをもらって、自分たちで食べるだけもらうとそれで満足する人と、
それをもっと増やしたいという人たちが出てくる。
僕が南米で長くつきあってきた人々に共通していることは、
だいたい3つあって、
「効率を好まない、競争を好まない、あんまり時間にこだわらない人たち」でした。
そのチベットの人たちになぜ差ができたかということを僕なりに考えると、
やっぱり家畜を持っている富裕階級は
勤労意欲、あるいは向上心と言えるかも知れませんが、そういう欲望が強い。
グレートジャーニーというのは、
アフリカで生まれて世界中に散っていったと言いましたが、
最初に生まれた人類、初期人類はですね。
例えば猿人とか、それから原人とかは、
それほど世界中に広がっていません。
ネアンデルタール人もそれほど広がっていない。
極北とか海に進出したのは、我々の直接の先祖、ホモサピエンス、
いわゆる新人、あるいは現代人といわれる人たちが世界中に広がったのです。
例えば北緯60度を越えたのはここ2~3万年前。
オセアニアに広がってオーストラリアに達したのが4万年くらい前。
ごく新しい時代なのです。
それがなぜできたかといえば、
多分そういう好奇心とか欲望の強さとか、
やっぱり我々の直接の先祖というのはアグレッシブだった。だからできたのだと思いますね。
そういう欲望というのは決して悪いことではないと僕は思っています。
それがやっぱり向上心を支えてきた。
しかしそれは、20世紀の半ばまでのことだと思います。
なぜかというと、要するに資源がまだ有限だとはわかっていなかった。
それから資源が有限だとはわかってなかったし、
そういう時代には欲望を満たそうとしても、
特に環境が汚れるなんてこともそんなに深く考えていなかった。
そいう時代には欲望のおもむくままに、もっと効率よく、もっと豊かに、もっと快適にと、
そういうことを求めるということは、別に悪いことではなかったと思います。
ところが20世紀の半ばになって、
資源というのはもう有限だということがわかってきた。
それから資源をあまり使いすぎると、
自分たちの住んでいる環境を悪くするということもわかってきたし、
さらにほかの動物たちにとって、非常に迷惑だということもわかってきた。
欲望のおもむくままに突っ走るというのは、あまりよくないことではないかということがわかってきた。
ちょっと抽象的な話になったので、スライド見ながら、もっと具体的な話に戻します。
さきほどチベットは神聖国家、神の治める国家だと言いましたが、
チベット仏教の中の一番の聖地は、カーン・リンポチェ。
カイラスとも呼んでいる。
ディラ・プク・ゴンパからみたカイラス山(6656㍍)の北面。
垂直に切り立った壁は荘厳だ。
この山は六千何百メートルかの山ですが、
ここはヒンズー教の聖地でもあるし、マニ教、ボン教とかいろんな聖地で、
すごい山です。
チベットに行ったらとにかくここに行きたかった。
巡礼者に会いたかった。
なぜ巡礼者がここにやってきて祈るのか。
たしかに自分も祈ることはあります。
自分の都合でですね、神社に行ったら手を合わせてお賽銭を投げたり、お寺に行ってもお賽銭投げる。
でも彼らは真剣に祈るわけですね。
なんで祈るのか、それを知りたかった。
このカイラスですけど、周囲50キロ。
ほとんどの巡礼者は、
一番高いところは5600メートルくらいありますが、
そこを1日で一周してしまいます。
こうやって五体投地をして廻るとだいたい2週間から3週間かかります。
もっとたいへんなのは川も五体投地をする。
身を投げて移動するし、もっともっとたいへんなのはガレ場。
岩がごろごろしている。
登りはまだしも、下りです。
しかし、そこも身を投げて進む。
まあ、ほとんどの人は、歩いて、というか早足で、
ですね50キロを1日で、とにかく進む。
・なぜ祈るのか、なぜ巡礼に来るのか
チベット人のことをよく旅する文明人といいます。
かなり高度な文化、文化というか文明を持っていて、
旅をするというのが彼らの特徴です。
カイラス北面を巡礼するチベット遊牧民の女性
なんのために旅をするか。
ひとつは巡礼、もうひとつは交易です。
だけどやっぱり、ただつらいだけじゃ面白くない。
長続きしない。
その中に物見遊山というのがないといけない。
巡礼も交易も物見遊山が混じる。
だから、その交易、巡礼、物見遊山の3つが目的なんですね。
じゃあ、なぜ巡礼をしているのかと聞くと、ありきたりの答えしか返ってこない。
なぜなら、だいたい中国だと、このあたり全部に人民解放軍、漢人の兵隊がたくさんいるわけですね。
だからあんまり正直に言ってしまうと、必ず聞かれる。
あの日本人に何をしゃべったかと聞かれる。
だから、紋切り型の答えが返ってきますね。
「生きとし生けるものすべてのために祈ってます」。
もうひとつは「いい来世に行くために」。
こう言ってておけばだいたい警察に捕まることはないんです。
その真摯な祈りはアンデスのコイユリーテ(星と雪の巡礼祭)と似ていた。
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