12.中国のチベット以上にチベットの文化を残しているネパールの北ドルポ
チベットだとあんまり聞き出せない。
例えばチベットのほんとうの主はダライラマ14世です。
いまは亡命してインドにいますが、彼の写真を持っていると、すごい。
巡礼者はみんな欲しがる。
だから持っていてチラッと見せただけで、みんなドドドッと寄ってくる。
だけどそれが見つかると警察がすぐにくる。
写真さえも見せられない状態が今のチベットの現状です。
でも彼らの本音を知りたい。そうするにはどうしたらいいか。
ネパールの一番北の方に、
ネパールというのはグレイトヒマラヤが走っていますが、
北側がチベット仏教徒、南側がヒンズー教徒です。
・夕日が当たるニルギリ。右側が北峰(7061m)。
アンナプルナ、ダウラギリとヒマラヤの高 峰が並んでいるが、
この北と南では気候、風土、文化、宗教がはっきりと異なる。
いろんな情報を集めたら、特に日本でチベットに詳しい人に聞いたら、
ネパールの北側の北ドルポという地方には、
中国のチベット以上にチベットの文化を残しているところがあると聞いたんです。
そこで北ドルポというところに行くことにしました。
これが北ドルポのひとつの景色ですが、
なんというか、どこからか孫悟空が出てきてもいいような場所にお寺がある。
・シェー・リオ・ドゥクダ山の麓、深い渓谷の壁面に二つの僧院がある。
仙人が住んでそうなこの谷で、僧たちは瞑想三昧の生活を送る。
この地方は人口に比べて圧倒的にお寺が、お坊さんが多い。
ちゃんと道はついていましたが、そこではお坊さんが瞑想していました。
北ドルポの産業は農業です。
私は農民よりも狩猟民とか遊牧民が好きなんですね。
それは彼らが、特に狩猟民というのは平等社会を作っている。
階級がない。貧富の差がない。
とにかく彼らの中で一番軽蔑される人間というのは、
ものを抱え込む人間、ケチな人間です。
要するにものというのは必要な人のところに流れていくというのが当たり前な社会なんです。
ところが、農業、
とくに穀物を作ることによってガラッと価値観が変わります。
抱え込む人間が偉い人間ということになっていく。
ここで知りたかったのは、
北ドルポは農民ですが、そんなに大きな村ではない。
ここはだいたい600人くらい。
600人くらいの村がいくつかありますが、私が4ヶ月つきあったのは、600人くらいの村。
ところが600人くらいの村でも貧富の差ができる。
あるいはヒンズー教の影響で被差別民までできてしまう。
それはなぜなのか知りたかった。
非常に興味がありました。
・畑が十分に作れないのは灌漑用の水が少ないためだ。
ここ北ドルポの村で採れるのは大麦、ソバで、小麦も少し。
ここは豊かに見えますが、一生懸命作っても、一番裕福な人でも半年分の麦しかとれません。
というのは、ここはモンスーン期といって雨が多く降るところです。
雨季にはたくさん雨が降りますが、農業に必要な時に雨が足りない。
だから灌漑水路が発達していて、それで水を分けますが、
4月頃、苗を植える時に、誰が一番最初に水を使うかということを
サイコロで決めなければいけない。
それほど水が足りない。だから畑を広げることができないんですね。
塩の交易
それで交易ということが起こる。
ちょっと北に行くと中国領です。そこに行って塩を取ってくる。
ヤクの背中に塩を乗せて持ってきて、
秋の終わりの頃に南のヒンズー教徒のところに行って、塩をとうもろこしを替える。
塩ととうもろこしの交換比率が高ければ高いほど、彼らにとってはいいわけです。
・チベットで手に入れた塩をヤクの背に載せるために袋に入れる。
・ヤクの背に塩を積む。
同行したラプケィ一家の次男ペーマ・アンジェン(10歳)は
5頭のヤクを追うことをまかされた。
・一人当たり6~10頭のヤクを投石縄を使ってコントロールする。
・ポクスンド湖から最後の難所カクマ・ラ峠に向かうキャラバン。
ここに至るにはいくつかのルートがある。この辺りから森が姿を現わす。
・池や水たまりはすべて凍っていた。しかし日中は気温も上がる。
その年のとうもろこしの収穫がどのくらいかによって違いますが、
その差額によって彼らは半年分しか作物が獲れないことを補っている。
では、ここでなぜ貧富の差が起きるか。
理由はすごく簡単だったんです。
なぜかというと、要するに畑を広げることができないということです。
親は子どもたちに畑を分ける。
すると、兄弟が多いと分ける畑も小さい。
だから兄弟があまり多かったりすると、ひとりはたいていお坊さんになります。
そうするとみんなの寄付やお布施、それからお経をあげることによって収入を得る。
あるいは乞食になるというのがある。
乞食といってもふつうの乞食じゃなくて、
マニ石といって、石なんかにオムマニペニフムと、真言を書く。
文字を書く。
それを売ったりする。要するに農業以外のことをして生きるようになります。
マニ石を積み上げた塚と、徳の高い僧が亡くなった後に記念につくった
チョルテン(仏塔)が村のあちこちにある
高僧の指導のもと、村人たちが集まり、マニ石の塚の補修が行われた
それからひとつ変わった制度があります。
いま世界中に3000くらい民族がいるといわれています。
そのうちのだいたい7割から8割が一夫多妻。
一夫多妻といっても、それは制度としてあるだけで、
イスラム教徒はよく4人奥さんがもらえるといいますが、
経済力の問題で実際にはできない。
世界で唯一の一妻多夫
逆の一妻多夫というのがあるかというと、一カ所だけあります。
それがこのチベットヒマラヤというわけです。
それはなぜかというと、やっぱり合理性がある。
例えばイスラム教徒が4人までいいよというのは、
マホメットが戦争して敗れた時、未亡人がたくさん出た。
それを救うために出きた制度です。
では、ここではどういう合理性があるかというと、
息子で分けてしまうと畑が小さくなってしまう。
すると兄弟でひとりの奥さんをもらえばいいだろう。
そうすれば分けなくてすむ。
もともとはそういうことで始まりました。
そうするといろいろ都合のいいことがあるわけですね。
例えば、畑の仕事がある時期、
ヤクや羊とか山羊、そういう家畜は山に放つ。
というのは、村におくと人の分まで食べてしまうからです。
だからダンナの一人は山に行く。
ひとりのダンナは畑仕事に行くということができる。
それからさっき交易をしていると言いましたが、
交易をする時もひとりのダンナが交易に行って、
ひとりのダンナは残って村の仕事をすることができる。
そういうふうに一妻多夫制の合理性があるわけです。
それでこの一帯は一妻多夫なんです。
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