河合おんぱろす
河合おんぱろす
河合おんぱろすは、予備校という特殊な現場で培われた経験と
知の層の厚みを世に問うべく年間雑誌として創刊しました。
危機に瀕する教育、大学入試のあり方など、予備校独自の視点から
問題提起をすると同時に
アカデミズムに収まり切らない学問研究の発表の場をも兼ねるものです。
河合塾講師らを著者として、創刊号、第2号、増刊号、特別号4冊の計7冊を発行しています。
河合おんぱろす
特別号
予備校空間のドストエフスキイ
-学びと創造の場、その伝達のドラマ-
芦川進一 著
A5判 2400円+税
◆書評
図書新聞
「いま一度、ドストエフスキイの世界に近接してみたい
―ドストエフスキイは、大学受験を控えた予備校生(浪人生)の時機に、読むのが相応しい」 皆川勤(評論家)
→ 図書新聞(2023.3.4).pdf
信濃毎日新聞
「受験に失敗した若者に差す光」赤上裕幸(防衛大学校准教授)→ 信濃毎日新聞(2023.3.18).pdf
著者の芦川進一講師は、河合塾の首都圏で英語科の授業を担当し、1980年代後半から三十余年にわたり多くの若者たちの支持を得ると同時に、付属研究機関の「河合文化教育研究所」で「ドストエフスキイ研究会」を主宰し、教え子である大学生や社会人と学ぶ場を共有し続けてきました。そこで出会った若者たちを中心とする六十名の青春を振り返り、現在にも続く彼らとの交流をまとめたものが第一部です。
そして、著者の静岡県三島市の少年時代から、とりわけ1960年代の東京における浪人時代から三十代にかけての煩悶と覚醒が、小さな塾の恩師の導き(ドストエフスキイと聖書、芭蕉などを通じて)の許にあったと語るのが第二部です。
その生涯の恩師となる小出次雄とその師である西田幾多郎との師弟関係は、著者と小出との「塾大学」という形での厳しくも慈愛に満ちた関係にも一貫して受け継がれ、ついに芦川講師自身によって、20世紀後半から三十余年、河合塾という予備校空間で、ドストエフスキイを軸として、その「関係」は奇跡的にリレーされました。
その百年近くにわたる「学びと教えのかたち」のドラマがこの書の随所に象られています。
◆キーワード解説
予備校空間:1980年代から1990年代にかけて、予備校は熱気をはらんだ授業とともに、さまざまなイベントや文化講演会などがおこなわれる「予備校空間」「予備校文化」とも言われたものがありました(258pの「あとがき」をお読みください)。
河合文化教育研究所:「教育」と「学問」を二本の柱として、国際学術シンポジウム、公開講座、文化講演会、研究会、書籍出版などを活動の中心にしてきました(9p)。
ドストエフスキイ研究会:研究会は河合塾の講師が主体となって行うもので、この会は若者たちと「ドストエフスキイと聖書テキスト」を読み進めることでした。その位置づけなどは本書の冒頭にまとめられています(8p)。また、活動と研究結果は『隕ちた「 苦艾(にがよもぎ)」の星 ドストエフスキイと福沢諭吉:ドストエフスキイ『夏象冬記』を読む エンリッチ講座第6回の記録』、『『罪と罰』における復活─ドストエフスキイと聖書』、『カラマーゾフの兄弟論 砕かれし魂の記録』として刊行されています(本書巻末)。
公開単科ゼミ授業:著者の「基礎貫徹英語ゼミ(略:キ・ソ・カ・ン)」として知られた授業は、ふつうは5時から7時半まででしたが、自前の分厚いテキストゆえ9時や10時近くまでになりました。しかし遠く「松本や熱海、千葉や木更津、水戸、宇都宮」から通ってくる学生たちも時間ギリギリまで熱心に授業に集中していました(41p、145p)。
青春グラフィ-ティ:若者たちの中からは、宮本常一の旅に魅せられて彼の足跡を訪ねて出版したもの(103p)、裁判員制度に深くかかわりを持ち、「クローズアップ現代」や著作で、実際に裁判員になった人たちの豊富な体験談を報告したもの(51p)、海外の大学で活躍する教育研究者など(76p)が生まれました。その他、予備校ゆえの若者の様々なエピソードが盛られています。そして「ドスエフスキイ」と出会い、人間と世界と歴史について、いかなる考えるに至ったか、そこには愉しいことも苦い「青春」模様も描かれています。
小出次雄:少年時代からの生涯の恩師(略歴211p)。師を通じて如何にしてドストエフスキイと聖書の世界に出会ったか、更にそこから如何なる新たな問いが生まれ、如何なる生と思索を迫られるに至ったか、第二部全体にわたって語っています(171p、213p)。
塾大学:東京での学園闘争の空洞化の中で、東京から故郷三島へ行き来しての約6年間の恩師のもとでの修行。具体的には、世界の古典との取り組みを、同世代の若い友人たちと共に「師を囲み、学ぶ場」となりました。それはまた小出が西田幾多郎のゼミで体験したものを再現しようとしていたようにも思えると著者は語ります(229p)。
絶対のリアリティ:小出が語る「良きもの・大切なもの」と確信するものを、一点の誤魔化しも妥協もなく、そのまま「凝視し、感受し、認識しきるのだという学びの姿勢」。また本書に掲載された20点近くの彼のデッサンにも通じる言葉(213p、219p、238p)。
気づかされたこと:本書は第一部(教え子の青春の振り返り)と第二部(自分自身の振り返り)と分かれていますが、後者は「日本宗教思想史研究会」(東京大学宗教学科の大学院生たちが主宰)における「様々な問いとの出会い」というタイトルの講演でした。その二つをむすんで芦川講師自身が過去を振り返る作業をする中で「私の視線には自分を超えて、自分を包んでいた大きな摂理・経綸が新たに浮かび上がって来るように思われた」「私とドストエフスキイとの出会いは、そのまま河合塾と河合文化教育研究所を含む近代日本とドストエフスキイとの出会いの一コマであることに気づかされたのである」と語っています(172p)。
■芦川講師の縦糸の世界(恩師小出次雄→西田幾多郎、そしてドストエフスキイ)に対し、横糸の象徴的な世界は「予備校空間」と言えるでしょう。その織りなす世界をご覧ください。
創刊号
創刊号 [ 特集 ] 予備校というブラックホール
第2号[ 特集 ]「学校以後」の時代へ
増刊号
『マザコン少年の末路』の記述をめぐって
戦後50年シンポジウム
・記録 東アジア史を問い直す──「戦後50年」を超えて
ドストエフスキイと福沢諭吉
──隕ちた「 苦艾(にがよもぎ)」の星