関野吉晴『グレートジャーニー ユーラシア大陸は平らだった- ベーリング海峡から人類発祥の地のアフリカまで』
グレートジャーニーとは
人類が400万年前にアフリカに生まれて、
シベリア、アラスカを通り、南米パタゴニアに至った旅路を、
イギリス生まれの考古学者ブライアン・M・フェイガンが
「グレート・ジャーニー」と名付けた。
関野吉晴さんはその「グレートジャーニー」を逆にたどる旅をしました。
1993年12月5日、南米最南端パタゴニア・ナバリーノ島から
ビーグル水道をカヤックで漕ぎ出したのを出発点として、
アメリカf大陸を北上、
ベーリング海峡を渡り、ユーラシア大陸を横断して、
人類誕生の地であるアフリカ・タンザニアのラエトリに2002年2月10日に到着しました。
足かけ10年の旅となりました。
関野さんには河合塾で何度も講演をしていただき、
南北アメリカ大陸縦断の旅は
河合ブックレット31『2001年地球の旅-「進歩」はヒトに何をもたらしたのか』
として発行しました。
しかし、ベーリング海峡をわたりユーラシア大陸からアフリカ到着までの講演記録は
これまでまとめられていませんでした。
そこで今回、15回にわたり掲載しました。
関野さんは
「アメリカ大陸縦断は凸凹の連続だったけど、ユーラシア大陸は平らだった」
と言いました。この「ユーラシア大陸は平らだった」という感想こそ
関野吉晴さんしか言えない実感でしょう。
今回あらたに
12 中国のチベット以上にチベットの文化を残しているネパールの北ドルポ
14 死の決め方とチベット医学
以上、5回を一挙に掲載しました。
なお、今後は講演会における会場からの質問を整理して掲載する予定です。
1 グレートジャーニーでは「旅は人力のみ」というルールを作った
2 グレートジャーニーは奇跡の旅だった
3 イスラムの人たちの優しさ
4 「足るを知る」アファール人
5 人間は進化はしていても進歩はしていない
6 自然に優しいとはー3つに集約
10 「海のような人」
12 中国のチベット以上にチベットの文化を残しているネパールの北ドルポ
14 死の決め方とチベット医学