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2 グレートジャーニーは奇跡の旅だった

 

2、グレートジャーニーは奇跡の旅だった

最初にアフリカに中東から渡る時、ちょっとたいへんな目に遭いました。
というのは、先ほど申し上げたように、この旅にはできるだけ太古の人と同じような感覚で歩きたい。自分の脚力と腕力、使っても家畜という、自分で作ったルールで移動してきました。
暑さとか寒さとか、それから埃とか、雪とか雨とか、そういうものを太古の人たちと同じように体験したいということでした。
太古の人はそれなりに、いつも未知の土地を進まなければいけないので、そういう意味でたいへんだったと思いますが、彼らにはなかった、そして私が歩いている時にはあった困難さというのがありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現代だからある困難さ、それが国境です。国境というものがいろんな障害物となって旅が妨げられたことが何回かあります。
例えばベーリング海峡を渡る時に、アメリカから旧ソ連、ロシアに入る。
昔だったら許可が出ないところが、今回は許可は出ました。しかし、やっぱり監視付きで、なおかつ上陸地点を、ここはいけない、あそこはいけないとか、いろいろ限定付きでは出されました。


しかし、そういう意味で大変だったのが中東からエジプト。
中東の最後の国はヨルダンです。その後、イスラエル、シナイ半島を通ってアフリカ大陸最初の国エジプトに到達するのは比較的簡単です。
というのは、イスラエルは15キロくらいなので、多分自転車であれば1時間くらいで通り抜けてしまう。ところがそれができない。

なぜかというと、イスラエルを通ったというスタンプを押してしまうと通れない国がたくさんある。
例えばイラン、あるいはエジプトの後に通らなければいけないスーダンという国は、イスラエルのスタンプがあると通れない。
例えばスタンプをパスポートに押さなくても、別の紙に押してくれるという特別の処置はとれますが、私がスーダンを通りぬける場合、ラクダでヌビア砂漠という、サハラ砂漠の一番東の端の砂漠を通らなければいけない他の人がしたことがない特殊な旅をする。
特殊なビザをとらなければいけないので、結局はわかってしまう。
スタンプがなくてもイスラエルを通ったことがわかってしまえばそこは通れない。



 

そこで、結局イスラエルの南側、ちょうどシナイ半島とヨルダンの間に紅海という海があります。
そこをカヌーで渡ることにしました。ところがなかなか許可が下りない。
そういう、太古の人だったらそんなことは関係なく悠々とイスラエルを通って渡れたでしょうが、うまくいかない。

まあ、結局は渡ることに成功しましたが、それは今考えてみれば時期的にすごくよかった。
現在だったら通れない。許可が出ない。
なぜかというと、ご存じのように今はパレスチナがたいへんです。2002年1月にパレスチナに武器を輸送しようとした船がイスラエル軍に拿捕されました。
そういうことがあったので、たぶん今だったら許可が下りない。その時も監視付きの許可、ひも付きの許可でした。要するに監視の船にロープを繋いで走らなければならない。そういう許可でした。
そのうちにこの船だったらイスラエルに協力するということはないだろうということになって、ひも付きじゃなくなったのですが、とにかくめんどくさかった。

そういうことを考えると、すごく今回のグレートジャーニーという旅が奇跡のように思えてきます。

それはどういうことかというと、多分冷戦時代だったらできなかった。
たとえば今回旧ソ連を通るのに足かけ10年の旅のうちの5年もかかっています。
たしかに途中、中国とモンゴルをはさんで、中央アジアを通ってきたから足かけ5年もかかったとも言えますが、ソ連ほどデカイ国はなかったということを身体で感じました。

 

 私は今回犬ぞりとかトナカイ、徒歩、それから自転車で、極東シベリアを2年間で走り抜けましたが、警官・役人・軍人の手を借りず、先住民の人たちとだけで走り抜けた。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



そんなことはソ連時代だったら絶対考えられない。ましてや許可は得られなかったかもしれないし、モンゴルが社会主義だった時代は、留学生でさえも自由に旅ができなかったということですから、そういう意味で冷戦時代は旧ソ連とかモンゴルはダメだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから中東もそうですし、エルサルバドルだとかニカラグアも内戦時代は決して通れなかったと思います。
内戦が起こっているところ、戦争が起こっているところなど取材に行くことはあるルートを使えばできます。
ところが私の旅というのは、どうしても国境の端から端までを自分の腕力と脚力で通らなければいけない。
その国が平和じゃないとできない。
そういう意味で考えてみると、湾岸戦争と今回のアフガンの空爆、その平和の間隙をぬってグレートジャーニーがやれたと言えます。


今はどうかといえば、たぶんコロンビアとパナマの国境は通れない。
その時でさえも危険だったのですが、いまコロンビアの反政府ゲリラたちの資金源になっている「誘拐ビジネス」というのがあります。
つかまっても殺されはしない。お客さんとして大事に高級ホテルでいいものを食べさせてくれて大切に扱われます。
しかし、それは身代金が支払われてのことで、身代金がバカ高い。1億5千万円とか。
わたしたちはその時4人で行ったから6億円。とうてい払える金額じゃあありません。
結局はつかまらずに済みましたが、1年後にドイツ人4人がつかまり、移動する途中に政府軍とかち合って銃撃戦になり、それで殺されてしまった。

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近はどうかというと、コロンビアの大統領選挙が終わったばかりですが、反政府ゲリラと政府の間に和解交渉がずっとすすんでいましたが、反政府ゲリラを徹底的に叩くという勢力の方が大統領選に勝って決裂してしまいました。
だから今、コロンビア側は通るのは無理。
そして、パナマはどういう状態かといいますと、パナマ運河がアメリカからパナマに返還されたのはパナマにとってはいいことだと思いますが、治安が悪くなっています。
アメリカ軍がどんどん撤退したので、もともと治安が悪いことに加えてもっと悪くなっている。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だからたぶん、コロンビア-パナマ国境のダリエン地峡はいま通れない。
そういう意味で2カ所難関があります。
これからロシアも中国も、あるいは中東もイラクもどうなるかわからない状態です。
これからはやろうと思ってもできないかもしれない。
ほんとうに平和の間隙をぬってやれたのだと思っています。

そういう意味ですごく幸運だったと思います。
幸運だったというのは、そういう平和の間隙をぬったということだけじゃなくて、例えば私が日本人のパスポートを持っているということ、それだけでも幸運なんです。
というのは、世界中でどこでも行けるパスポートというのは、それほど多くはありません。
アメリカ人はどこでも行けるかもしれないけど、とても反米感情の強い国もたくさんあって、そんなにのんびりとは歩けなくなっている。

ロシアの旅はロシア人と一緒でした。
日本で考古学を勉強していて日本語とロシア語が完璧。そして、空手のチャンピオンになったことのある体力のある青年でしたが、彼も自由に旅をすることができない。
一緒にアフリカへ行こうよということで、小アジアを通って、イラン-トルコまで行きましたが、シリアでつかまった。

多分それ以上続けても、ヨルダンで引っかかっていたと思います。
というのは、ヨルダンには王様がいますが、王様を守っている近衛兵はだいたいチェチェン人です。
それから軍部にはチェチェン人が多い。
ロシアとチェチェンの関係というのは、みなさんご存じのように、非常に険悪な関係になっている。
そういうことでロシア人はなかなかビザが下りない。
そういうことを考えると、ほんとうに世界中どこへでも行けるパスポートというのは、そんなにない。
パスポートを持てない人もいます。
難民なんていったら、ほとんどどこにも行けない。
そういう意味でほんとうにラッキーだったと思います。

今回の旅というのはひとりではできない。
いろんな人たちの、もちろん一緒に歩く仲間もそうだけど、途中で出会う人が本当にみんな魅力的な人で、いろんなところで手伝ってもらって、それで初めてできた旅だと思っていますし、同じ日本人だったとしても、例えば親がちょっと体調悪いからケアをしなければいけないとか、子供がケガをしたとか、そういうことがあったら、しがらみで動けないこともあるわけで、とにかくそういうことをなんとか自分はクリアーできた。
ほんとにラッキーな日本人だと思っています。



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