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木村 敏

木村 敏 (きむら びん)
(故人)


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プロフィール
著書 
シンポジウム・講演会
わたしが選んだこの一冊
わたしの近況
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◇◆ プロフィール ◆◇

文教研所長・主任研究員
京都大学医学部卒。
専攻・精神医学、精神病理学。医学博士。
京都大学名誉教授。ドイツ精神神経学会およびドイツ現存在分析学会特別会員。

「あいだ」を軸にした独自の自己論で内外に大きな衝撃を与え、
近年は環境に相即する主体を核とした生命論を展開。
2021年8月4日逝去。享年91歳。

1981年第3回シーボルト賞(ドイツ)
1985年第1回エグネール賞(スイス)
『木村敏著作集』第7巻が2002年度第15回和辻哲郎文化賞受賞
『精神医学から臨床哲学へ』(ミネルヴァ書房)が2010年度毎日出版文化賞受賞
2011年度京都府文化賞特別功労賞を受賞。

 


◇◆ 著書 ◆◇

『時間と自己』
『分裂病と他者』
『偶然性の精神病理』『自己・あいだ・時間』
『関係としての自己』『生命と現実』
ほか多数。

『木村敏著作集』全8巻。

河合文化教育研究所からの出版
『人と人とのあいだの病理』(河合ブックレット)
『からだ・こころ・生命』(河合ブックレット)
『分裂病の詩と真実』(河合ブックレット)

中村雄二郎氏との共同監修による思想年報『講座生命』(全7巻)
 講座生命2000 第4巻〈特集〉共通感覚論の可能性
 講座生命2001 第5巻〈特集〉「場所」をめぐって
 講座生命2002 第6巻〈特集〉臨床哲学の可能性
 講座生命2004 第7巻〈特集〉自己──視点の交錯の中で 

坂部恵氏との共同監修による臨床哲学シンポ論集
『身体・気分・心』
『〈かたり〉と〈つくり〉』

野家啓一氏との共同監修による臨床哲学シンポ論集
『空間と時間の病理』
『「自己」と「他者」』
『臨床哲学とは何か』
『生命と死のあいだ』

 

 

◇◆ 『わたしが選んだこの一冊』(2011~2015/2020) ◆

・2011年 『生物の世界』今西錦司 著

・2012年 『善の研究』西田幾多郎 著
・2013年 『風土』――人間学的考察―― 和辻哲郎 著
・2014年 『省察』デカルト (三木清訳)   (山田弘明訳) 
・2015年 『西田幾多郎』〈絶対無〉とは何か 永井均 著
・2020年 『ゲシュタルトクライス』知覚と運動の人間学
        ヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼカー 著 木村敏・濱中淑彦訳

 

 

◇◆ シンポジウム・講演会 ◆◇

河合臨床哲学シンポジウム (第1回~第14回)
日独国際シンポジウム 医学的人間学――西欧的主体と東洋的主体「生命論」
日独国際シンポジウム 医学における人間
日独国際シンポジウム 自己――精神医学と哲学の観点から

 

 

 ◇◆ わたしの近況 ◆◇

(2015年 夏)   わたしの近況

(2013年 夏)   書くことが考えることになる

(2012年 夏)   ウォーキングのことなど


◇◇ 近 況 ◇◇ 

(2015年 夏)
  わたしの近況


ここ1年あまり前から心身の状態がすこぶるよくない。2013年の暮れに雪で滑ってころび、「頭蓋底骨折」という厄介な傷害を起こして、救急車で脳外科の病院に運ばれて入院した。奇跡的によくなって退院したが、それ以来、脳のMRIを撮ってもらうと、前頭葉と側頭葉に出血の跡がある。歩行が不安定で、転ばないように歩くためには、これまでよりもうんと長い時間が必要になった。用心して歩いていてもすぐ転んで、困ったことに前のめりに転ぶので顔に怪我をする。

それと、やはりなんといっても、知的な衰えの有無が気になる。他人の書いた論文や本を理解する能力は(外国語も含めて)まだ大丈夫ではないかと思っているが、自分の考えを論文にまとめる力が衰えてきたのではないか。現在の自分の行動の方向づけがはっきり定まらない。自分が次に何を書こうとしているのか、その方向を決める能力、心理学用語でいうと「見当識」(オリエンテイション)がきちんと定まらない。自分がいま、全体の構想のどこに位置していて、どちらへ進もうとしているのかという、座標上の立ち位置があやふやになることが多い。

そんな悪条件にもかかわらず、この数年間、結構たくさんの仕事をしてきた。させられてきた、と言ったほうがいいのかもしれない。文教研が毎年の暮れに東京で開催している「河合臨床哲学シンポジウム」では、2012年から3年連続でシンポジストをつとめ、その最初2回(201年の「臨床の哲学」と2013年の「感性と悟性の統合としての自己の自己性」)は、文教研から隔年に出しているシンポ論集『臨床哲学の諸相』で論文化している。2014年には日本精神病理学会の第37回大会で「自他関係における現勢態と潜勢態」と題する特別講演をして、それを論文化したものを『臨床精神病理』誌に載せた。著書としては、昨年『あいだと生命──臨床哲学論文集』という本を、このところ私の書いたものをよく刊行してくれる創元社から出版した。これは私が最後に出した論文集『関係としての自己』(みすず書房2005年〉以降に書き溜めた論文の中から、8篇を選んで論文集に仕立てたものである。論文集を出すとき、私はいつもかなり長い序論を書き下ろして、それを全体のマニフェストとすることにしている。今回は、2012年の西田哲学会で発表した「西田哲学と私の精神病理学」が内容的にそれに相応しいと思われたので、わざわざ書き下ろすことはしなかった。そこにも書いてあるとおり、私の精神病理学はそもそもの最初から西田哲学との──そしてそれにいわば触発された形でヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼカーの心身論的な思想との──関係なしには語れない。



(2013年 夏)
  書くことが考えることになる

最近、日経新聞に五回連載で私についての記事が載った。「こころの玉手箱」という欄である。あるいはお読みくださった方もおられるかもしれない。若いころドイツへ留学したときに向こうではじめて取得した運転免許証(これには30歳のときの顔写真がついていて、不思議なことに現在でもまだ通用する)とか、ハイデガーから直接に手渡された自筆の献辞つきの著書とか、そういった思い出の品物の写真が紹介されている。その最終回に、去年この「文教研の栞」にも書いたウォーキングの話が出てきて、行き先の喫茶店が写真入りで紹介されていた。それからというもの、その記事を読んだという人がちょくちょくこの喫茶店を訪れる。先日は浜松からやってきたという人もいたし、京大文学部の名誉教授で私も名前はよく知っている有名な先生も来られた。

しかし夏になるとウォーキングは身にこたえる。リュックでパソコンを背負っての重装備ではいつ熱中症で倒れるかわからないから、小ぶりのカバンに文庫本、それに老眼鏡と筆記用具を入れて出かける。最近持って歩くのはほとんど、私自身が若いころに出した論文集の文庫版である。西田幾多郎の言葉に「書くことが考えることになる」というのがあるのだが、自分がむかしどんなことを考えていたかを再体験したくて、自分の書いた文章に書き込みを入れたり赤鉛筆で熱心に線を引いたりしている。そうすることによって、そのときあと一歩のところで考えが及ばずに文章化できなかった自分の思想が、何十年かの歳月を経てようやく納得できる形にまとまってきたりする。

私がいまなんとか形にしたいと思っているのは、この年末にまた東京で開かれる「河合臨床哲学シンポジウム」の講演である。昨年は鷲田清一さんとの組み合わせだったが、今年の相方は野家啓一さん、ここ数年来私と二人三脚でこのシンポを取りしきってくださっている哲学者である。お互いに相手が何を考えてそれをどう表現するか判りすぎるほど判っている。それでも何とかして新味を出して行かなくてはならない。そんなことでせっせと自分のむかし書いたものを読んでいる。

 

(2012年 夏)
  ウォーキングのことなど

昨年とうとう80歳台に入って、見かけも中身もすっかり老人になりました。歩く速度が非常に遅くなって、ひとと一緒に歩くときに迷惑をかけるので困っています。それで、なんとか脚を鍛えなければならないと思い、定年後に始めた毎日のウォーキングは欠かさず続けています。嵐山の自宅から2キロほどの松尾橋を渡ったところにある小さな喫茶店まで、書物とパソコンを入れたかなり重いリュックを背負って歩きます。その店で机ひとつを占領して2時間ほど仕事をし(大体は翻訳が多いですが論文も書きます)、また同じ道を歩いて帰ります。往復4キロ強でしょうか。歩くというのはほんとに気持ちのいいものですが、このところはそれもかなりきつくなってきました。なによりも転ばないように気をつけています。この年になって骨折すると大変ですから。

仕事の方は相変わらず同じようなことばかりしています。論文を書いても講演をしても、いつも同じ話題ばかりで、まるで新味がありません。年寄りの話はくどいものと相場が決まっていますが、読み手や聞き手を退屈させないようにということばかり考えています。今年の7月に京都で国際的な西田哲学会が開かれることになり、その公開講演を頼まれて引き受けました。それと12月には東京で毎年恒例の「河合臨床哲学シンポジウム」が開かれるのですが、そこでも「臨床哲学とはなにか」という基本的な話をしなくてはならなくなりました。またしても二回にわたって同じような話をしなければならないわけですが、どう味付けをすれば退屈をさせないですむか、それが今年の最大の難問です。

研究のほうはそんなことですが、たったひとつ自慢できることはといえば、まだ臨床の仕事も続けていることです。週1回の外来診療だけですけれども、患者さんとの人間関係を持ち続けること、それが私の研究活動の最大の活力源ですから、これだけはなんとか継続したいと思っています。